465 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:49:17 ID:svQv/dUr
赤井照光と狐と館林築城・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-144.html
これの62年後の事である。
天正18年(1590)小田原役において、石田三成を主将とした大谷吉継 、長束正家らの軍勢は、
既に降伏した北條氏勝らを案内とし、五月二十二日、館林城を攻め立てた。
しかし館林城はこれに頑強に抵抗、石田軍は無為に5日間を過ごした。
これに三成は大谷、長束らを集め
「この城は四方のうち一方が大沼なので攻められず、城の者たちは三方だけを守るため、
人数も多くなかなか攻め寄せる事ができない。
そこで近くの大袋山より材木を切り出しこれを沼に入れ筏にし、この大沼に船橋を作って、
ここからも攻め寄せるのははどうであろうか?
所詮この城に籠る人数は少ない。これが四方に分散されればそれぞれの口の防御力も
薄くなり、防戦も難しくなる。そこで四方から一斉に総攻撃を仕掛ければ
たちまち攻め落とせるであろう。
この案、いかがか?」
大谷らもこれを了承し、早速沼にて筏をつくりこれを組んで、船橋を作り始めた。
城中の者たちはこれを防ごうとしたものの、三方からの攻撃が激しく人数を回す事ができず、
また三成方も盾や竹束で厳重に守っていたため、沼にはふた筋の船橋が着々と伸びて行った。
五月二十八日にはほぼ完成し、翌日の早朝から総攻撃、と決まった。
その夜、不思議な事があった。城内に、1万とも2万とも見えるおびただしい松明の明かりが現れ、
なにやら普請をしている様子であったのだ。
攻め手の者たちは「明日の攻撃に備えて、堀に柵を作っているのだろう」そんな風に考えた。
ところが、この時館林城の者たちは皆、明日はこの城も滅亡かと、一箇所に集まり暇乞いの
酒宴をしていたのだ。
466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:50:00 ID:svQv/dUr
さて明朝、沼側に回った三成の軍勢は一斉に鯨波の声をあげた。これに他三方の軍勢も
鯨波を上げた。攻撃の合図である。
三成の勢は皆馬から降り持ち盾、竹束を先に立て船橋を渡り始めた。ところが
この時突然、船橋に組んだ筏が皆水中に沈んでしまった。これに三成の軍は渡る術がなくなり、
総攻撃は失敗した。
船橋は前日から注意深く警備されていた。城方から工作があったわけではない、
では一体何故?三成らが奇異の思いでいると、案内の北條氏勝が言う
「昨晩の松明の事、この度船橋が沈んだ事、これは人間の所業では無いでしょう。
お聞きください、この城は赤井但馬守法蓮と言う者が、狐の導きに従い築いたと言われています。
城が完成すると狐はたちまち老人に変じ、『私はこの城の鎮守となり、幾久しく守護するであろう。』
そう、約束したそうです。そのためこの城には稲荷社があり、そこは稲荷曲輪と呼ばれています。
その昔北條がこの城を取り囲んだとき、夜になって我らの軍の後ろに、突如2,3千の松明が
現われ、6,7千ほどの軍勢のごとく鯨波の声をあげました。
我らの軍勢は敵の援軍が来たとこれに驚き包囲を解いて逃げ出しました。
ところが朝になって確認すると、そのような軍勢は存在しなかったのです。
あの時は「狐の仕業だ」と、皆言ったものでした。
この度のことも又、稲荷大明神の仕業であると考えられます。」
これに三成ら諸将も不思議の思いを強くし、この上は和睦すべきと決し、氏勝を通じて
籠城衆の助命と本領の安堵を条件に開城を求め、ついに和議がなった。
これにより館林城を受け取った三成軍はこの後、武州忍城に攻め寄せる事となる。
三成の軍も、稲荷明神の霊験にはかなわず。と言うお話。
467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:53:44 ID:Uxzk59MC
忍城の失敗も狐のせいに・・・なりませんか
468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 00:52:16 ID:wNw9+gzd
)、._人_人__,.イ.、._人_人_人
<´ 狐じゃ、狐の仕業じゃ!!>
⌒ v'⌒ヽr -、_ ,r v'⌒ヽr ' ⌒ヽr
// // ///:: < _,ノ`' 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ //
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469 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/21(日) 01:30:02 ID:1GekLus5
>>465>>466
どう見ても手抜き工事です。本当にありがとうございました。
470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 01:31:21 ID:DV8PYjUh
お稲荷さんが助けたのは島津氏だけじゃなかったんだ。
471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 01:58:19 ID:A6GCnSqz
厩橋近辺にタヌキが助けた城かなんか無かったっけ?
上野&下野はその手の話しの宝庫かも知れんw
473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 08:19:36 ID:F1TxUn7i
>>467
ラスボスのせいです
474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 09:56:24 ID:AzgN4erI
三成「猿じゃ!猿の仕業じゃ!」
477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 10:37:05 ID:tO7yxcPq
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
な、なんか狐につつまれたような |
気がする・・・。 .|
_____ _________/
V
∧_∧
/ ヽ
| ` ´|
<>○<>\= o/
// ヽ\⊂ ̄ , ヽ
/ ∧_∧ヽ  ̄ ヽ
/,( ;´∀`)ヽ ,ゝ |___, ヘ
| ヽ\`yノ )( | < |
ヽ ___ノ_と_ノ\_<_ノ
赤井照光と狐と館林築城・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-144.html
これの62年後の事である。
天正18年(1590)小田原役において、石田三成を主将とした大谷吉継 、長束正家らの軍勢は、
既に降伏した北條氏勝らを案内とし、五月二十二日、館林城を攻め立てた。
しかし館林城はこれに頑強に抵抗、石田軍は無為に5日間を過ごした。
これに三成は大谷、長束らを集め
「この城は四方のうち一方が大沼なので攻められず、城の者たちは三方だけを守るため、
人数も多くなかなか攻め寄せる事ができない。
そこで近くの大袋山より材木を切り出しこれを沼に入れ筏にし、この大沼に船橋を作って、
ここからも攻め寄せるのははどうであろうか?
所詮この城に籠る人数は少ない。これが四方に分散されればそれぞれの口の防御力も
薄くなり、防戦も難しくなる。そこで四方から一斉に総攻撃を仕掛ければ
たちまち攻め落とせるであろう。
この案、いかがか?」
大谷らもこれを了承し、早速沼にて筏をつくりこれを組んで、船橋を作り始めた。
城中の者たちはこれを防ごうとしたものの、三方からの攻撃が激しく人数を回す事ができず、
また三成方も盾や竹束で厳重に守っていたため、沼にはふた筋の船橋が着々と伸びて行った。
五月二十八日にはほぼ完成し、翌日の早朝から総攻撃、と決まった。
その夜、不思議な事があった。城内に、1万とも2万とも見えるおびただしい松明の明かりが現れ、
なにやら普請をしている様子であったのだ。
攻め手の者たちは「明日の攻撃に備えて、堀に柵を作っているのだろう」そんな風に考えた。
ところが、この時館林城の者たちは皆、明日はこの城も滅亡かと、一箇所に集まり暇乞いの
酒宴をしていたのだ。
466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:50:00 ID:svQv/dUr
さて明朝、沼側に回った三成の軍勢は一斉に鯨波の声をあげた。これに他三方の軍勢も
鯨波を上げた。攻撃の合図である。
三成の勢は皆馬から降り持ち盾、竹束を先に立て船橋を渡り始めた。ところが
この時突然、船橋に組んだ筏が皆水中に沈んでしまった。これに三成の軍は渡る術がなくなり、
総攻撃は失敗した。
船橋は前日から注意深く警備されていた。城方から工作があったわけではない、
では一体何故?三成らが奇異の思いでいると、案内の北條氏勝が言う
「昨晩の松明の事、この度船橋が沈んだ事、これは人間の所業では無いでしょう。
お聞きください、この城は赤井但馬守法蓮と言う者が、狐の導きに従い築いたと言われています。
城が完成すると狐はたちまち老人に変じ、『私はこの城の鎮守となり、幾久しく守護するであろう。』
そう、約束したそうです。そのためこの城には稲荷社があり、そこは稲荷曲輪と呼ばれています。
その昔北條がこの城を取り囲んだとき、夜になって我らの軍の後ろに、突如2,3千の松明が
現われ、6,7千ほどの軍勢のごとく鯨波の声をあげました。
我らの軍勢は敵の援軍が来たとこれに驚き包囲を解いて逃げ出しました。
ところが朝になって確認すると、そのような軍勢は存在しなかったのです。
あの時は「狐の仕業だ」と、皆言ったものでした。
この度のことも又、稲荷大明神の仕業であると考えられます。」
これに三成ら諸将も不思議の思いを強くし、この上は和睦すべきと決し、氏勝を通じて
籠城衆の助命と本領の安堵を条件に開城を求め、ついに和議がなった。
これにより館林城を受け取った三成軍はこの後、武州忍城に攻め寄せる事となる。
三成の軍も、稲荷明神の霊験にはかなわず。と言うお話。
467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 23:53:44 ID:Uxzk59MC
忍城の失敗も狐のせいに・・・なりませんか
468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 00:52:16 ID:wNw9+gzd
)、._人_人__,.イ.、._人_人_人
<´ 狐じゃ、狐の仕業じゃ!!>
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469 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/21(日) 01:30:02 ID:1GekLus5
>>465>>466
どう見ても手抜き工事です。本当にありがとうございました。
470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 01:31:21 ID:DV8PYjUh
お稲荷さんが助けたのは島津氏だけじゃなかったんだ。
471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 01:58:19 ID:A6GCnSqz
厩橋近辺にタヌキが助けた城かなんか無かったっけ?
上野&下野はその手の話しの宝庫かも知れんw
473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 08:19:36 ID:F1TxUn7i
>>467
ラスボスのせいです
474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 09:56:24 ID:AzgN4erI
三成「猿じゃ!猿の仕業じゃ!」
477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 10:37:05 ID:tO7yxcPq
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な、なんか狐につつまれたような |
気がする・・・。 .|
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