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織田信長、権大納言・山科言継にびっくりする

2009年06月22日 00:10

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 19:38:14 ID:zv3aED0w
まとめにちょろっとあったけどいいかな?

後奈良天皇の十三回忌の法会が近づいていた。しかし朝廷には金がない。
そこで権大納言・山科言継は徳川家康を頼ることを提案。朝廷もそれに
賭けることにした。

当時は盛夏。しかも行き先が三河となると、老人の言継の身に何かあっても
おかしくはない。言継は出発前、息子言経に神楽の奥義を伝授した。
それだけ覚悟した旅だったらしい。出発した言継はまっすぐ三河に向かわず、
岐阜に向かい始めた。言継は信長に会おうとしたのである。

まず信長の側近・武井夕庵と会った。夕庵も高齢だが、金華山を行ったり
きたりして、信長の「この暑さの中を老身だというのに本当にご苦労。
三河まで行くのは私用と公用のどちらなのだろうか。老身には山登りは
きついだろうから麓の邸宅でお会いしよう」という言伝を言継に伝えた。

次の日、信長が山を下りたとしらせが来たので言継は出かけたのだが、
やっぱり明日にしてくれとまたしらせが来た。ところが言継がやれやれと
宿に戻ると、今度はすぐに来てほしいとしらせて来た。こうした行き違いが
あったものの、なんとか言継は信長と面会できた。

事の次第を知った信長は「仰天」した。そして信長は「老体が猛暑の中、
三河まで赴くのは大変であろう。それに家康は駿河辺りにいるはずだ。
他用がないのなら、三河まで行くこともない。わしがなんとかするゆえ、
岐阜でゆっくりしておられよ」と心強い言葉をくれた。また、あとで夕庵が
「家康殿がダメだったら殿が一、二万疋は用意してくださるでしょう」と
信長の内意を伝えてくれた。

こうして初めは死ぬかもと思っていた旅だが、信長の計らいで一件落着となった。
結局、二万疋が献上されたのだが、その四分の三は信長の献上したものだった。
また、信長は言継に渡状を渡して、献金は京都まで運んであげたという。





639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 19:57:24 ID:WjDgFaeg
なんで頼るべき人物の提案で、信長じゃない家康の名が出て来るのか理解出来ないな。
江戸時代になってからの作り話じゃあるまいし

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:00:38 ID:2+2GW7hB
たしかこの時、家康は朝廷に貸しがあったから、だったかな。
名前を家康と改名した際、朝廷が何かして上げたとか何とか。
で、それをネタに家康に無心に行ったと。たしかそんな内容だった気が。

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 20:08:18 ID:H2lWurYe
>>640
家康でなくて松平を徳川に改姓した時の借り
毛利みたいにある程度、歴史のある国人と異なり、松平は生粋(?)の氏知れぬ身
三河を統一した時に三河守になるには血統的に問題があるので系図を公家に
拵えてもらった
また、これによって他の松平家に対して上位であることを示した

それなりに借りはありますな


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    やっぱり勤皇家だし年配者には親切だよな信長

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