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十河一存の「十河額」

2009年06月25日 00:11

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 21:24:50 ID:aBW2x/PC
>>720 泰平の時代の若者のお話をばひとつ

十河一存は、「鬼十河」または「夜叉十河」といわれた讃岐の猛将で、
その武勇から家臣たちからも信望厚かった。
一存の髪型は前髪をぜんぶ引き抜き、
さらに月代を大きく広げて剃り上げる「十河額」と呼ばれるもので、
家臣の中には「十河額」を真似する者も多かったという。

家光の頃、旗本小普請組の二男・三男の若者たちに、「十河額」が流行した。
前額から頭の中央にかけて月代を四角に大きく剃り込むもので、
十河一存の武勇にあやかろうと真似をし始めたといわれています。

一存が「十河額」にした理由は、肌が弱く、長時間兜をかぶっていると、
汗で蒸れて湿疹になってしまうので、それを防ぐための実用的な髪型だったようである。





725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 21:30:06 ID:mPf4hIIK
>>724
肌の弱さを克服すべく?
有馬温泉に湯治に出掛けたのが……(´;ω;`)ウッッ..

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 21:36:19 ID:rj2QQT/X
頭剃らずに兜を被ってると蒸れて逆上せるらしいね
尚文の民族、漢人、朝鮮人は頭を剃る習慣がなくて
尚武のモンゴル、満州、日本に頭を剃る習慣があるのはそのためだと聞いてなるほどと思った
眉唾かもしれないけど

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 21:51:40 ID:/WJyT9UD
前髪を引き抜くってのはそれだけで痛そうだなぁ…

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 22:49:33 ID:6bpcY2ok
>>726
眉唾だと思うぞ。
ヨーロッパでも中東でも頭髪を剃る習慣は無かったよね?

732 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/24(水) 23:01:32 ID:J3U3/59Y
月代ってただのハゲ救済策だろ
頭髪史に残る革命だったと思う
蒸れ云々はただのこじつけ

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:09:35 ID:tF5aaT40
いや、源平の昔から月代は、元々兜がずれたりしないよう、しっかりと固定するため剃っていたもの。
なので合戦の時は剃っていたが、普段は伸ばしていた。
そして武士以外が剃る事は無かった。

月代が「国民的」ファッショになったのは、実は平和になった江戸時代から。
「安定した強力な統一武家政権」という、実は日本史上初めての物が成立したため、
武士以外も武家風にあこがれたためらしい。

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:38:16 ID:rj2QQT/X
>>731
ヨーロッパでも丸坊主にしてたと思ったが
アラブ判らないな
環境的に兜付けたんだろうか?

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:43:41 ID:tF5aaT40
>>741
ヨーロッパ貴族がカツラつける風習って、元々は兜かぶるために毛を剃ったためだと
聞いたことがあるな。

743 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/24(水) 23:54:24 ID:lzhZxEtK
>>724
戦国期までは髪の毛を、手でひっこ抜いたりして、若者は苦痛だった。
かと言って剃刀とか使うのは「縁起が悪い。」て言われてて、禁忌だったらしい。
これが嫌で元服を拒む者もいたし、頭皮が痛んで戦や仕事にならない者もいた。
そこで織田信長が「織田家の者は、剃刀で髪を剃って良い。」
と許可したので、その後は剃刀で剃るのが一般的になったらしい。
合理的な信長らしい逸話だ。


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コメント

  1. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    >>733と>>740は上の「島津義弘、江戸時代版珍走団に」へのレスみたいです
    っていうかそもそもあんまり掲載する必要性のないレスのような…

  2. まとめ管理人 | URL | -

    Re: タイトルなし

    そうですね。修正しておきました。

  3. bad.Ⅳh-95 | URL | Kc2Tnbj2

     ところで、新幹線計画の国鉄総裁十河信二氏は
    この武将と関係ありますか?

  4. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    十河一存の系列の三好系十河氏は、最終的に大阪の陣で豊臣方に付いて滅亡したので、十河信二氏とは関係は無いと思います。

    想像するに、信二氏は愛媛の出身だそうですが、おそらく一存が養子に入った植田党十河氏のうち、そのまま四国に残った傍流の一族の子孫ではないかと。

  5. bad.Ⅳh-95 | URL | -

     早速のお返事ありがとうございます。
     繋がりが薄くても、時代を変える決断をした
    老総裁のご先祖がひとかたの武将であったかと
    思うと、鉄基地外としては感激です。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    この時期のカミソリはまだまだ危険だからな。
    もし近くに刺客がいたら、ちょっと押されただけで致命傷になる恐れもある。

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