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佐藤為信、八幡座の穴に

2009年06月26日 00:06

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:52:26 ID:tkYs3VGa
相馬家に佐藤為信と言う男がいた

為信は義経四天王の佐藤継信、忠信の末裔で
小斎城代として重用されていたが同じく相馬家家臣である桑折左馬助を討ち伊達家に寝返った

実は為信の父、佐藤好信は磯部城の軍奉行をしていたのだが
桑折左馬助の讒言で所領を没収され領地は桑折のものに
その上自分の館に狼藉を働かれた。好信はこの事で憤死している
これを為信は恨み伊達氏に小斎城を攻められた際、父の敵と援軍に来た
桑折左馬助を討ち果たしたのだった

伊達家に寝返った後もも利己故に寝返ったと思われるのを嫌って加増の申し出を拒否している
その後も対相馬戦で活躍したという

さて、話は変わるが日本の兜には頭頂部に天辺の穴と呼ばれる穴が空いている
元々は結った髪を兜から出す装飾の為の穴だったようだが
そのような風習が無くなった戦国では新しい様式の兜の出現と共に廃れてきたが
この穴から八幡神が降りてきて自分を守ってくれる、兜蒸れを防ぐ等の目的で空けられる物もあった。
このため八幡座、息出しの穴とも呼ばれる

話は佐藤為信に戻る
為信は葛西・大崎一揆において佐沼城を落とすべく参戦していた
城を落とすべく沼地の浅瀬を進行していた為信
その為信に向かって一発の銃弾が向かってきた
弾は兜の八幡座を見事射貫き為信は討ち死にした

神を降ろす為に空けた穴に降りてきたのは鉛玉だった
そんな悪い話

良い話スレで兜蒸れの話が出たので




753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 04:05:59 ID:4ZW+xze9
八幡座を矢が貫通したのは源平だったか?

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 21:02:52 ID:fa0FSZ6m
>>744
>伊達家に寝返った後もも利己故に寝返ったと思われるのを嫌って加増の申し出を拒否している
>その後も対相馬戦で活躍したという

なんて良い話なんだ 。・゚・(ノД`)・゚・。
このスレにピッタリな話ではないか


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