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板部岡江雪、秀吉の前に突き出され

2009年07月01日 00:02

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 18:07:52 ID:J/85GHLO
小田原の陣の決着がついたころのこと。

秀吉は「板部岡江雪を呼んで来い!」と叫んだ。
開戦前に北条氏の外交官として、豊臣政権との折衝に当たり、氏政の上洛を
約束をした男である。

江雪は召し捕られ、秀吉の前に突き出された。
秀吉が怒鳴る

「お前ほど憎い奴はいない。先に北条氏規などと共にわしの元に来て、口先では
良い事ばかりを言っておったな。
それがどうだ、いまこのように合戦を行い、多くの人間を殺す羽目になったではないか!」

しかし江雪
「いやいや、わたくしは偽りなど申したことはありません。」
と、受け流す。

これに秀吉「お前はそれでも武士か!?
このように捕らわれて来て恐れ入りもせず、あまつさえわしに反論するなどと。
どんな成敗を申し付けようかと考えていたが、死罪にしてくれよう!
縛り首にする縄を、江雪に見せてやれ!」

と、縛り縄を出して見せた。

すると江雪、これを大げさに拝み始める。
「この縄をいただけると言うのは、大変ありがたいことです。
縄も神の前では注連縄となります。これこそ、我らの命綱でございます」

江雪、秀吉を暗に神と例えたのである。

秀吉はこの追従に素直に感心した。小田原陣の前に竜宮に手紙も出した秀吉である。
実際に自分を、半ば神みたいな物だと考えていたのかもしれない。

「なるほど、注連縄で縛り首をするわけにはいかぬな。」と、縄を解き、彼を許した。

そして「板部岡は言いにくい、”岡部”にせよ」と改姓を命じ、彼のお伽衆に加えたとのことである。


機転で命が助かったといえばいい話なんだけど、どうもこのあからさまな追従を、する方にも
まんまと乗る方にも、ムズ痒くなるような違和感を感じるのでこっちに。





820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 18:57:33 ID:1zbhDVjd
ラスボスがダメになり始めた兆候なんだろうか…

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 19:13:53 ID:PWvzF5cq
板部岡さん、もはや観念して潔く振る舞った。のかもしれんが……

>819
毛利元就「うちの家臣に阿諛追従する者は要らんよ」
黒田如水「ねェ」

同じ智者でもこちらは倅(や孫)を極悪に厳しく躾けて、家を残したね。
ラスボスは、お拾いを自ら躾けようもなかったから半ば仕方ないが、
やっぱり半分は豊臣家の体制が甘かったと

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 19:31:37 ID:n7m0IfVV
端から殺すつもりはなかったんだろうな。
「どんな成敗を…」ってことは死罪を申しつけるつもりじゃなかったんだろうし。
期待通り面白い事言ったから、当初の予定通り御伽衆にしたんじゃないか。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/30(火) 21:03:30 ID:mqoy2n98
>>819
とりあえず板部岡さんの名前は確かに分かりにくいw


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コメント

  1. 奈菜氏 | URL | 1zy/x5P2

    板部岡江雪斎は初め、
    いたべ おかえ せっさい
    なんて読んでたなあwww

  2. 人間七七四年 | URL | 6TpBGLH6

    お前は俺かwww

  3. takagi | URL | -

    大言を吐く(関八州古戦録)

    北条家が滅亡した後、豊臣秀吉は北条家の家臣・板部岡江雪斎に対して使いの者
    を通じて
    「お前は何年か前に北条家の使いとして上洛し平和協定を結んだのに、それを破っ
    て名胡桃城を奪ったのは、主君の北条氏直の策略か、それともお前の考えだったのか」
    と問い詰めた。しかし江雪斎が、
    「直接会って答えたい」
    と返事をしたため、秀吉は非常に怒り、江雪斎を呼び出して刀を奪い取り、左右の手を引っ張らせ庭に座らせた。そして、
    「お前が平和協定を破ったことはどんなに非難しても非難し足りないくらいだ。しかも全国の兵を動かし主君を滅亡させた。それでお前は気分がいいのか」
    と罵った。
    だが、江雪斎は顔色も変えず、
    「主君の氏直に平和協定を破るつもりはなかった。だが領土の外れで愚かな家臣が名胡桃城を奪い、ついには戦いとなって北条家が滅んでしまった。これは私にはどうしようもなく、家が滅びる運命だったのだろう。しかし日本全国の兵と戦ったのは北条家の名誉だったと思っている。それ以外に言うことはない。早く首を刎ねろ」
    と思っていることをすべて話した。それを聞いた秀吉は怒りが鎮まり、
    「お前は京都で磔にしようと思っていたが、大きなことを言って主君の名誉を守った立派な男だから命を助けよう。私に仕えろ」
    と言って江雪斎を許している。

    『関八州古戦録』(かんはっしゅうこせんろく)は、江戸時代の軍記物。享保11年(1726年)に成立。全20巻。著者は槙島昭武。『関東古戦録』とも呼ばれる。

    戦国時代の関東地方における合戦や外交情勢について記されており、天文15(1546)年の河越夜戦から天正18年の後北条氏滅亡までの関東における大小の合戦を詳細に扱っている。

    関東各地に埋もれている戦記類をたんねんに集めたもので、その他の軍記物に比すると、語りものの調子を避け歴史をそのままに伝えようとしている姿勢が強い。それゆえか歴史的あやまりは少ないとされている。

    同書は実証的戦国時代史研究において原資料に基づいた良質な内容も認められるが、その他軍記物類の影響も見られるので、近世・近代に比べて古文書・日記などの同時代史料の少ない戦国時代の研究において、史料批判を行なった上で使用される。

    ※本当かどうかわかりませんが、祖先が小田原北条氏の他国衆だったらしく
    私は北条家の名誉を守った板部岡江雪斎を尊敬しております。名誉のための長文をお許しください。

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