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亀井さんの大井手

2009年07月02日 00:13

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 03:15:35 ID:UNSSxNj0
亀井さんの大井手

鳥取平野は千代川の氾濫が度々あり、また農業用水の確保が難しく、
おおくが田畑に適さない荒地であり、これにより鳥取の住民は、多くが貧しかった。

因幡鹿野城主であった亀井茲矩は、これを深く憂いていた。
やがて関ヶ原で東軍についたことにより、三万八千石に加増されると、この長年の懸案を
一挙に解決させようと動いた。用水路の造成による、新田開発である。

茲矩は馬で現地を視察すると、ついてきた役人にこう言った

「わしの馬の足跡に沿って、水路を作れ!」

このように1600年(慶長5年)から7年の歳月をかけ、延長16キロメートルにも及ぶ
「大井手用水路」が完成した。
この用水路には、水量を調節する多くの「樋」が造られ、樋守が置かれた。そして
水田の大きさによって支流の水路の幅や深さを決めることにより、効率の良い分水が可能となった。

水路の完成により、それまでの荒地に新田、新畑が次々と開墾され、千代川の西側では、
当時だけで1,200ヘクタールもの新たな田畑が作られた。

この用水路は、鳥取平野の人々に恩恵を与え続けた。地元の人たちはこの水路を
『亀井さんのおおいで』と呼び、亀井茲矩への感謝を、今も忘れないのだと言う。

「琉球守」「台州守」だけじゃない、亀井茲矩の民生の、ちょっといい話。





946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 12:29:36 ID:G6PLVQFh
>>941
「樋」って大事なんだよね
確か江戸時代は流派もあって樋について書かれた書物も多かったはず
土木技術や治水工事は国や村作りの基礎だからな

樋渡とか「樋」の付く苗字の子孫は
大抵先祖がそういう職に就いてたんだろーな


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