116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 19:26:05 ID:55Q4tNCj
じゃあ景治に関する話
清水源三郎景治は、備中高松城の名将、清水宗治を父に持つ武将である。
宗治は一度は秀吉に降伏・帰順を勧められながら、
「一度毛利氏に忠義を誓った身、いまさら心変わりなど言語道断」
と一言の下に断った忠義の士である。
しかし宗治の奮戦もむなしく、高松城は落城する。
形式上「和睦」という形であったため、高松城落城後は、景治をはじめ一家は城から
立ち退くこととなる。
しかしその後、天下は急転し、織田家の軍団長に過ぎなかった昨日までの敵、
秀吉が中央で覇権を握っていた。
毛利家はその同盟者としての地位を確固たるものとし、こんにちでいう
「勝ち組」として家を保っていくことになった。
さて、高松城から立ち退いた景治は、その後川辺の地をあてがわれ毛利家に仕えることになる。
一方そのことを耳にした秀吉、
「あの立派な侍大将の息子が、片田舎の城主をしているとは勿体無い、
ぜひ、1,2万石でわしの元に迎えたい」
と、当時の毛利家重鎮、小早川隆景に掛け合う。
秀吉にとっては、高松城受け渡しの際の、あの颯爽とした立ち居振る舞いや
潔い戦いぶりなどが、心に焼き付いていたのだろう。
しかも、地方の領主に過ぎない景治が、一挙に秀吉直参の大名に取り立てられるのである。
立身出世としてこれほどいい話はない。
隆景のほうも、これは悪くない話と思って景治に勧めた。
すると景治
「父のこともあり、お気持ちは大変嬉しく思っております。
しかし私は毛利家に知行をいただく身分なれば、このままの身分でようございます」
と断ったのだそうな。
その後、小早川家は秀秋を養子に迎える。秀吉の一門の若者であった。
家臣として景治らの武将がつけられたが、これに景治は猛反発。
「わたしは毛利家の家臣です!どこの馬の骨とも知れないような輩の家臣ではありません!
そのような人に使える義理はございません!どうしてもと言うなら出奔いたします!」
それをなんとかなだめた隆景であったが、結局景治は最後まで毛利家に義理を立て、
関が原でも石田三成から誘われても
「わたしは毛利家の家来ですから」
と言下に断ったと言う。
そんな宗治、景治親子の、二代にわたって義理堅いお話。
余談ですが、このあと清水家は萩毛利家で2600石と言う、破格の待遇を得ています。
そして益田元祥とともに、毛利家の財政再建に当たったといいます。
毛利家からも、その忠義を強く認められていたのでしょう。
117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 19:45:39 ID:5Pr0laan
>>116
毛利は結局明治維新まで、清水家をものすごく大切にしたし、清水氏一族もその厚恩に
よく答えていたんだよね。清水清太郎とか、峻烈だ。
118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 20:47:26 ID:s1+eaJ06
ググったら写真家ばっかヒットするんだけど、どんなことしたの?
119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 20:54:39 ID:5Pr0laan
>>118
「清水家は2度にわたって主家を救った」と言われた。
こんな人
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/212447/
122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 21:32:05 ID:8T1RVMkf
>>117
いい話だね。
一番大好きだ。
124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:55:54 ID:IEV5KF/Z
すごく良い話なんだけど、秀吉がやると裏を勘ぐってしまう
配下の大名の家臣を直で取り立てて煽るのはお得意のパターンw
125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:34:02 ID:aDfi3VVk
それを勘違いした大河は現代の悪い話
126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:06:31 ID:VijMogBY
>>123
菊門の変と読んでしまった俺はどうすればいいだろうか?
127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:18:46 ID:OSrmxskt
>>126
信玄公にそなたの菊門を(ry
128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/06(月) 21:11:51 ID:vhXDJc3p
>>126
信長公にそなたのry
じゃあ景治に関する話
清水源三郎景治は、備中高松城の名将、清水宗治を父に持つ武将である。
宗治は一度は秀吉に降伏・帰順を勧められながら、
「一度毛利氏に忠義を誓った身、いまさら心変わりなど言語道断」
と一言の下に断った忠義の士である。
しかし宗治の奮戦もむなしく、高松城は落城する。
形式上「和睦」という形であったため、高松城落城後は、景治をはじめ一家は城から
立ち退くこととなる。
しかしその後、天下は急転し、織田家の軍団長に過ぎなかった昨日までの敵、
秀吉が中央で覇権を握っていた。
毛利家はその同盟者としての地位を確固たるものとし、こんにちでいう
「勝ち組」として家を保っていくことになった。
さて、高松城から立ち退いた景治は、その後川辺の地をあてがわれ毛利家に仕えることになる。
一方そのことを耳にした秀吉、
「あの立派な侍大将の息子が、片田舎の城主をしているとは勿体無い、
ぜひ、1,2万石でわしの元に迎えたい」
と、当時の毛利家重鎮、小早川隆景に掛け合う。
秀吉にとっては、高松城受け渡しの際の、あの颯爽とした立ち居振る舞いや
潔い戦いぶりなどが、心に焼き付いていたのだろう。
しかも、地方の領主に過ぎない景治が、一挙に秀吉直参の大名に取り立てられるのである。
立身出世としてこれほどいい話はない。
隆景のほうも、これは悪くない話と思って景治に勧めた。
すると景治
「父のこともあり、お気持ちは大変嬉しく思っております。
しかし私は毛利家に知行をいただく身分なれば、このままの身分でようございます」
と断ったのだそうな。
その後、小早川家は秀秋を養子に迎える。秀吉の一門の若者であった。
家臣として景治らの武将がつけられたが、これに景治は猛反発。
「わたしは毛利家の家臣です!どこの馬の骨とも知れないような輩の家臣ではありません!
そのような人に使える義理はございません!どうしてもと言うなら出奔いたします!」
それをなんとかなだめた隆景であったが、結局景治は最後まで毛利家に義理を立て、
関が原でも石田三成から誘われても
「わたしは毛利家の家来ですから」
と言下に断ったと言う。
そんな宗治、景治親子の、二代にわたって義理堅いお話。
余談ですが、このあと清水家は萩毛利家で2600石と言う、破格の待遇を得ています。
そして益田元祥とともに、毛利家の財政再建に当たったといいます。
毛利家からも、その忠義を強く認められていたのでしょう。
117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 19:45:39 ID:5Pr0laan
>>116
毛利は結局明治維新まで、清水家をものすごく大切にしたし、清水氏一族もその厚恩に
よく答えていたんだよね。清水清太郎とか、峻烈だ。
118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 20:47:26 ID:s1+eaJ06
ググったら写真家ばっかヒットするんだけど、どんなことしたの?
119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 20:54:39 ID:5Pr0laan
>>118
「清水家は2度にわたって主家を救った」と言われた。
こんな人
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/212447/
122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/05(日) 21:32:05 ID:8T1RVMkf
>>117
いい話だね。
一番大好きだ。
124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 16:55:54 ID:IEV5KF/Z
すごく良い話なんだけど、秀吉がやると裏を勘ぐってしまう
配下の大名の家臣を直で取り立てて煽るのはお得意のパターンw
125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:34:02 ID:aDfi3VVk
それを勘違いした大河は現代の悪い話
126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:06:31 ID:VijMogBY
>>123
菊門の変と読んでしまった俺はどうすればいいだろうか?
127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:18:46 ID:OSrmxskt
>>126
信玄公にそなたの菊門を(ry
128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/06(月) 21:11:51 ID:vhXDJc3p
>>126
信長公にそなたのry
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コメント
人間七七四年 | URL | kyBjvhlc
しかしラスボス公はスカウトが好きだな
この話の場合はスタンドプレーっぽいけど。
( 2009年07月07日 01:31 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
ラスボスは曹操かよw
( 2009年07月08日 10:08 )
人間七七四年 | URL | -
今年の6月9日に清水宗治の427回忌が備中高松城跡で行われたよ。
72代目毛利家当主から白百合と白の胡蝶蘭の花が届けられていた。
( 2009年07月09日 20:38 )
人間七七四年 | URL | -
訂正。6月7日でした。
( 2009年07月09日 20:49 )
人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU
>72代目毛利家当主から白百合と白の胡蝶蘭の花が届けられていた。
いい話だなあ。
歴史ってこういう、記憶を忘れないことだと思うわ。
( 2009年07月09日 22:00 [Edit] )
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