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宗像氏貞と六人女の怨霊

2009年07月07日 00:03

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:48:14 ID:oaJDN6ZY
宗像氏貞と六人女の怨霊(1/2)
天文二十年のことである。
筑前の名門宗像氏の当主、宗像氏男が大寧寺の乱で大内義隆の自害に殉じ、
宗像氏は跡目相続問題で揉めに揉めていた。
家督を継いでからまだ四年しかたっていない若い当主は、
先先代当主で叔父の宗像正氏の娘、菊姫を正妻としていたが、二人の間にはまだ子がいない。
そんな中屋形の死に騒然とする宗像家中に一人の少年が陶晴賢より送り込まれてきた。
少年は亡き氏男の叔父で、正氏の側室(陶晴賢の妹)の息子であった。

そんな子どもが居るなど寝耳に水だった国許は憤懣やるかたない。
特に夫の隠し子の存在を知った正氏の正妻山田の局の怒りは生半可なものではなく、
どうにかしてこの少年を長州に追い返そうと、入国しようとする一行に武装した一団を差し向けた。
しかし陶晴賢の肝いりでやってくる一行はなかなかにやり手であり、
向かってくる刺客を迎え討ち、行きがけの駄賃で敵対勢力の城を落とし、
ついに国入りして白山城に入ってしまった。
そして反対勢力を力ずくでねじ伏せ、軒並み撫で斬りにすると、
少年は宗像氏貞として家督を継ぎ、大宮司の地位を得た。

しかし事態が収束してもまだ、懸念材料は領内にあった。
山田の局と、菊姫のことである。
この二人は主城である白山城から追われて後、そこからあまり遠くはない山田村というところで、数人の侍女と共に暮らしていた。
元々側室である氏貞の母はこの二人が憎らしく、
また再び氏貞の地位をおびやかすのではないかと毎日気が気ではなかった。
そこである日、譜代の御家人衆に命じて、この母娘を殺害させた。
この時屋敷に居た侍女を含む六人の女を、御家人達は惨殺すると、
遺体を人の通る宇原の辻に運び出し、穴を掘って放り込み埋めて、その痕跡が残らないよう踏み固めた。
またこの時、氏男の父氏続とその妻と三歳の子も田楽刺しにして殺し、
見事に氏貞以外の宗像の血を絶やしたのであった。


80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:51:43 ID:oaJDN6ZY
そんな血なまぐさい事件から数年が経ち、氏貞が十五になった年のことである。
氏貞の母が自分の娘、つまり氏貞の妹のお色の方に喉を食い破られ重傷を負った。
楽しそうに双六をしていたお色の方が突然顔をひきつらせ、
奇声を発するや否や母に飛びつき喉を食い破ったのだという。
そして口から血をしたたらせ

「我は山田の局が怨霊なるぞ!われのみならず娘をも殺したる報い、思い知らせてくれようぞ!」

と叫んだというのだ。
家督相続時の血なまぐさい事件については家中でタブーとなっており、
当時まだ幼い氏貞やお色の方は、山田の局の無残な死のことを知らないはずであった。
荒れ狂うお色の方は、男たちが数人係で抑えつけることでようやく意識を失い大人しくなったが、
以降ずっと錯乱と鎮静を繰り返した。
娘に喉を食い破られた母もかろうじて一命を取り留めたものの寝たきりになった。

氏貞は家臣達から話を聞き、早速慰霊のため墓所を整備し法会を行ったが、
その途端に大友方の豪族の来週があり、領内の大部分が大友に占領されてしまった。
また疫病が流行し、井戸が枯れ、土砂崩れが頻発した。
領民は山田の局の怨霊の仕業だと口々に噂した。

氏貞は比叡山から日祐上人という高僧を招いて調伏を頼んだ。
日祐はあらましを聞くと

「それは尋常な祈祷では無理ですな。
大釜を三個作り、その釜に怨霊を封じ込めましょう」

と言った。
氏貞は言われた通り釜を三つ作らせ、日祐と共に調伏祈祷を催した。
ところが一刻ほど祈祷を続けると、徐々に天候が荒れ始め、豪雨が降り雷鳴が轟いた。
そして一瞬閃光がきらめいたかと思うと、凄まじい轟音と衝撃が氏貞たちを襲った。
雷が落ち、釜が木っ端微塵に吹き飛んだのである。
日祐は直撃を受けて死んだ。



81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:54:23 ID:oaJDN6ZY
続き(番号入れ間違えた)
以降氏貞は生涯慰霊に努めたが、宗像の家運は傾き続けた。
あるものは病で、あるものは討ち死にで、またあるものは発狂し、
宗像家譜代の重臣の家は全て氏貞の代のうちに絶えた。
妹のお色は大友の名将戸次道雪に嫁いだが、この縁組みも幸福なものとは言い難く、
色々な騒動の末に子もなく死んでいる。
氏貞には嫡男が無く彼の死後、秀吉の九州入りと同時に、
六百七十年七十九代続いた宗像氏は断絶した。
しかし以降も怨霊は氏貞の後家を悩ましたため、後家は増福院という寺に六体の地蔵を寄進した。
今もその地蔵は増福院の本尊として残っているが、これもあまり効果は無かったようだ。
後家が後に行った大法会の後、それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
これも宗像氏を恨む怨霊の仕業であると、人々はそう噂したのであった。





82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:21:27 ID:f64YCn8L
女の争いこわー(((゚Д゚;)))
しかし

> それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
何故かヨハネスのガイドラインを思い出したw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 19:59:32 ID:Y/FMZYfQ
>>81
> 続き(番号入れ間違えた)

それも怨霊のしわざか!!


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