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鬼頭内蔵助の報告と織田信雄、+おまけ

2009年07月14日 00:06

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 07:19:50 ID:qAsuzoTF
織田信雄の家臣、鬼頭内蔵助は主君の命で、京の信長のもとへ使いに出た。
山科まで来た所で、思わぬ人に出会った。
「伊藤殿ではないか!こんな所でどうされた?」信長のお伽衆、伊藤安仲だった。
「おお、鬼頭殿!大変じゃ、明智が謀反を起こし、信長公が本能寺で亡くなられた!
我ら軽輩は、もはや途方に暮れて右往左往しておるところじゃ…」
「な、なに!嘘ではあるまいな!」
「わし如き者がこんな話をしてウソだった日には、日本に身の置き所が無くなるわい。」
「よ、よし!ならば、オレはすぐに帰り、信雄様に変事を申し上げる!」
「されば、わしの話の証拠として。」

二人は脇差を交換し、内蔵助はその日の内に伊勢に帰り、信雄に変事を語った。
「父上が簡単に死ぬわけがない。内蔵助、狂ったか?」
「いや、しかし安仲がこの脇差を…」「くどい!」
重大な報告を信じてもらえず狂人呼ばわりされた内蔵助が自宅に帰ると、夜になって
知人が訪ねて来て、しきりに内蔵助の信雄への思いを聞きたがった。
(ははぁ、これは…)と察した内蔵助は知人に語った。

「殿はオレを狂人扱いしたあげく、叛意をお疑いになるか。もういっそウソの報告の罪で
切腹でも仰せつけ下され。その方が返って幸せじゃ。我はもはや、変事が本当であった
時のことを憂うるのみ。」
知人は言葉もなく帰り、その言葉を信雄に伝えたが、信雄は内蔵助を閉門とした。

その後、続々と変を告げる使者が来るに及び、信雄は内蔵助の閉門を解いた。
さっそく内蔵助は信雄に「この上は、一刻も早く弔い合戦の兵を挙げるべきです!」
と進言したが、信雄はこれも聞かず、十日以上経ってようやく近江まで出た時には、
羽柴秀吉がすでに光秀を討ち取っていた。

のちに内蔵助いわく、
「侍たる者、主人を良く選ばねば、幾百幾千の努力をしても生涯不遇で終わるのみ。
ウソだと思うなら、オレを見よ!」

…と言いつつ、信雄が秀吉に改易されて一万八千石の堪忍料で復帰した時、そこには
「ダメな子ほど(ry」なのか超M体質だったのか、鬼頭内蔵助の姿があったそうな。


355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 07:20:32 ID:qAsuzoTF
おまけの三介殿

信長の乳母の子である池田恒興は、秀吉と信雄が手切れになると信雄側についた。
これを信雄は、
「恒興は信用の置ける男である。そのような者から人質を取るのは、かえって他の者が
わしの心底を疑う元になる。」と言い、人質に取っていた恒興の次男・輝政を帰してやった。



これを喜んだ恒興は即座に秀吉側に回り、信雄軍の犬山城を制圧した。





357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 09:59:21 ID:TMghhu6T
>355
さすが鷹揚な風流人、常信どのは違いますなあ。

マッチョ池田家の力を頼みとせず秀吉と対決しようとは……!orz.
イッテテカナシクナッテキタ・・・サンスケドノッテバ・・・・・・

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/13(月) 13:55:30 ID:vEpzqbbj
>>355
池田恒興も基本DQNでヒャッハーだからなぁ
鬼武蔵の岳父だけはある
長男で嫡子だった元助はどうだったんだろう


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