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浅草寺の弁財天堂

2009年07月17日 00:28

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 23:00:30 ID:/cPC+29Y
浅草寺境内 敷石の怪 『突然バラバラ音たて隆起』  
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009071502000108.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2009071502100023_size0.jpg
突然敷石が盛り上がった浅草寺の宝蔵門前=東京都台東区で

> 東京都台東区の浅草寺で、参道の敷石の一部が、魚のうろこのように盛り上がる“怪現象”が起こった。
> 「吉兆では」「天変地異の前触れか」「何かの封印が解かれたのでは」。さまざまな憶測を呼んでいる。

こんな記事があったので、500年近く前の浅草寺の怪異譚を巻いてみる。




大永二年(1522)の九月の事、北條氏綱は古河公方足利高基の許へ、、家臣富永三郎左衛門を
重陽の祝いの使者として派遣した。

さて、その帰路の事、富永は浅草の観音堂に参詣した。その日は御縁日と言う事で
多くの人が参拝に訪れていたのだが、にわかに

「弁財天堂のあたりから銭が沸いているぞ!」

との声があり、人々集まり争ってその銭を拾った。寺の僧達が制したが、まったく聞かず、
大変な騒ぎであった。

富永、小田原に帰ってからこの事を言上した。氏綱をはじめ北條家中の人々は一様に
奇異の思いをしていたところ、丁度そこに達乗院の長老が参られた。
長老は氏綱からこの事を聞くと、

「浅草寺と申すは推古天皇の御世に草創された物です。本尊は聖観音、関東最初の伽藍であります。
土師氏の末の漁師、檜熊、浜成、行成の三兄弟の網に、七浦で観音菩薩がかかり、
それが本尊となり、人々に多くの加護を与えられました。

ところが今の世は、国家乱逆の最中であり、人民は困窮しています。そこで観音様は、
大慈大悲のお心をもって、銭を沸かせる事により、人々に利益を与えたのでしょう。

銭の沸いた弁財天堂の弁才天とは、観音が姿を変じられたものであり、御当家守護の
ご本尊ともすべきでしょう。」

この事があったので、氏綱は城北川の堀の内に、江ノ島の弁財天を勧請して、小田原城の鎮守と
崇めたそうである。





456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 00:24:20 ID:wMh5XCqy
>>454
このころって、まだ浅草あたりは最前線地域だよな
勧進もそれと関係あるのかな

457 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/16(木) 00:39:36 ID:xqv+Cj4j
>>454
弁財天の補足説明のサイトを見つけたので
http://www.post-ad.co.jp/joypost/odawarajo-sanpo8.html

今では旭○高校という女子校になっています。
この話を聞いて、小田原の相○高校の史○研究部にいた私は
弁財天見た事ないしなぁ、と思って探しましたが、
北条以後にどこかに移転したかも知れないですな。

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 01:23:02 ID:tRUE9wW3
>>457
地元の方ですかー!
小田原探索するのは、今北条関係の研究が非常に進歩しているだけに、
そう言うの調べてから行くと楽しそうだなあ。

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 02:19:05 ID:3hBvfhGM
>456
大永二年だとまだ江戸城が扇谷上杉氏のものなので、
浅草は前線というかバリバリ敵領内かと。
そして氏綱もまだ伊勢と名乗っていた頃。

大永期に氏綱は「相州太守」を自称して、
その肩書きでもって相模国内に大量の寺社造営を行って
既成事実を積み重ねることで相模の支配権をアピールし、
次いで北条を名乗り得宗家のイメージを利用するって流れなので、
北条得宗家の守り神だった江ノ島の弁財天を
本拠地小田原に呼ぶっていうのは強い政治的な意図を感じる。
怪異譚もしたたかなパフォーマンスの一環かも。


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