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大野修理治長の草履取り米村権右衛門「太閤の金?それは・・・」

2009年08月02日 00:40

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 19:24:29 ID:dd0yOtmG
「太閤の金?それは・・・」

米村権右衛門は大野修理治長の草履取りだったが、治長に士分に取り立てられ、大野家の
家老にまで出世した。
大阪落城の際、千姫の護衛として落ち延びた権右衛門は治長の遺言により、彼の娘を
かくまい養育していたが、ある日突然、囚われて江戸に送られた。

江戸城中に引き立てられた権右衛門は、奉行に問い詰められた。
「お主は、秀頼第一の近臣たる大野治長の家老。ならば、治長が差配して隠した
『太閤の隠し金』のありかを知っていよう。有り体に申せ!」
権右衛門は答えた。
「・・・知らぬ。(良かった、お嬢様の事では無いようだ・・・)」
「そんなはずはあるまい!知らぬと申さば、拷問にかけても糾明いたすぞ!」

「これは、奉行衆の言葉とも思えぬ。わが主人治長、大阪にあっては軍陣の差配を司り、
城の存亡をひたすらに図れども、金銀財宝の事など心に在らず。
その家臣たる我らもまた、敵を討ち良き首を獲る事のみを心がけ、他の事など考える
ヒマはありませぬわ。」

権右衛門はキッと顔を上げ、なお答えた。
「さらに理屈を言えば、負けた時は金どころか自分の首さえ保てるか分からぬのに、
たとえ千万の財貨を隠したとて何になりましょう?
勝った時は、大御所・将軍家の持ち物だとて我らの物になっており、求めずして財貨を
稼げるのに、何で金を蓄える必要がありましょう?
この通り、士とは申すべき儀あらば即座に申し上げる。申すべき儀が無ければ、たとえ
口を裂かれ、舌を抜かれても何も申さぬ。それを、「拷問にかけて糾明」とは何事じゃ!!」

となりの一室で襖を隔て聞いていた家康は、
「無類の剛の者である。このような男を、義直・頼宣の側に附けたいものだ。」
と言い、やがて権右衛門は釈放された。

権右衛門はのちに浅野長治(広島藩分家)に仕えたが、衣食住は浪人の頃のままで
武具のみ立派な物を揃え、収入の大部分を京にかくまった旧主・治長の娘のもとへ
送り続けたという。




979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 19:52:01 ID:nCy2WQ6K
家康が気に入りそうないい士だな
籠城中に分裂してもいいような二回の大坂の陣を行った大野治長は
弟とこの人も含めて再評価されてもいい気がする

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 20:11:19 ID:yAU5AWCJ
実は関ヶ原は東軍で参加してるんだよな>大野治長

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 20:14:00 ID:wX+1uBPz
それも福島正則隊だな

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 20:34:48 ID:TYyXbnAF
石田三成にしてもそうだけど、
一方の旗頭としてとりあえず陣営をまとめ、
戦まで持っていくのは相当の技量と覚悟は必要だろうしね
ただ、戦略面というか、外交を含めた大局観って所は、
意地や覚悟じゃどうにもならないところなのだろうな

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 20:43:29 ID:nCy2WQ6K
あくまで片桐且元の代理として抜擢されたんだとは思うけどね

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 20:47:53 ID:4mfAg9lG
長治に仕えたのも治長の回文だからか?
と思ってみたり。

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 00:12:13 ID:qDQFnUHg
>>978米村の名は知ってたけど、誠実な上に硬骨漢で、見事な人物だね。

米村を低い身分から引き上げた大野修理亮治長も、きっとドラマなんかである
淀殿に侍ってるだけのダメ家老とは違ったんだろうな


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