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葦名四天王、佐瀬源兵衛のいでたち

2009年08月04日 00:14

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/03(月) 22:08:01 ID:iH9wCiXy
さてさて、大河ではヌルっとスルーされた、上杉景勝をあわやという所まで苦しめ、上杉家が
秀吉に臣従するきっかけにもなった、新発田重家の乱。
この乱のとき、景勝の攻勢の情報を聞いた新発田は、会津葦名氏に救援を要請、
葦名氏はこれに300余騎の援軍を出した。

その援軍の中に、後に葦名四天王にも数えられる佐瀬源兵衛がいたのだが、
そのいでたちがすごかった。

鎧の上に死装束地の経帷子を羽織り、旗指物は「荼毘のときの龍の首」、兜の前立てには
金箔で輝く「七本仏のひかくし」、刀・脇差は供に朱鞘、鞘の尻は銀製で逆鰐口。
柄は頭と元を赤銅で造り、柄の中程に入れてある飾りは位牌の形で、そこには自分の戒名が
金象眼されている始末。
歩くお葬式、一人大伽藍と言った趣である。

その姿を見た人々は

「なんと仰々しい格好だ。やたらと討ち死の覚悟を強調しているが、侍という程の者ならば、
合戦に及んで、誰しも生きて帰ろうなぞとは思いもしないであろうに。」

と、呆れあざ笑った。だが、武者奉行の沢井越中守という者は

「さては源兵衛は、若いだけあって思い切った姿であった。彼の父もひとかどの武者であったが、
流石にその子だ。
侍が戦に臨んで目立った格好をするということは、手柄を立てれば大勢の目に留まり、また、
危ない時には狙われるものなのだ。世の常として臆病者はごくありふれた格好をするものなのに、
こう言う心掛けと嗜みのよい侍がもう一人程いたならどれほど心強いことだろう、しかし、
今のところあいつしかいないなあ。」

と、苦笑いをしながら言った。

やがてこの話が広まり、また佐瀬源兵衛も戦場において流石の働きを見せたため、
彼のいでたちに対する悪口はたちまち消えた、との事である。






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