991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:09:50 ID:yTQAvjEQ
毛利元就がまだ子供の頃、
ある日、泣いている娘を見つけて事情を聞くと、
母親が人柱にされてしまって、ひとりぼっちになったのだという。
元就はこれを気の毒に思い、つれて帰って娘を家臣に養わせることにした。
時は流れて、郡山城拡張工事の時の事。
姫丸壇の石垣が何度積んでも崩れてしまい、遅々として進まない。
あまりの難工事に、普請奉行達は神仏の祟りかと考え、人柱を立てることにした。
そこで白羽の矢が立ったのが、元就が子供の頃に助けた娘である。
早速、娘を人柱にしたいと元就に申し出た所、
元就は己の先祖である野見宿弥という人物がその昔、
古墳を作る際に、殉死の人馬の代わりに埴輪を納めたという故事にならい、
「せっかく助けた命、再び犠牲にすることはない。
百万の心を同じくし、一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる」
と、家臣を諭し、紙に「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と書きつけ、
これを石に彫り、人柱の代わりに埋めるように命じた。
家臣たちは言われたとおり、高さ6尺、巾2尺の巨石に言葉を刻み、
人柱の代わりにこれを埋めた所、石垣は崩れなくなり、
無事に工事を終えることが出来たという。
因みに、「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と刻んだこの石は、
江戸時代末期に長州藩士によって郡山城跡で文字の写しが取られ、
それが豊栄神社に奉納されたとされるが、現物は未だ発見されていない。
992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:32:42 ID:VQv0E4Z5
>>991
その長州藩であった山口県では、今もほとんどの学校に「百万一心」の石碑がありますな。
993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:43:16 ID:t1kJaSPt
百万一心の字をちょっとヘンテコに書いて、家臣にそれを問われるとさらにそれにも
意味があったって話もあった気がする。
994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:55:16 ID:1X9G9gk+
kwsk
995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 17:19:46 ID:45K5J9CW
>>994
それこそが「一日一力一心」
百聞は一見に如かず拓本を御覧あれ
ttp://www.mapple.net/photos/I03400118001.htm
何の予備知識もなしに見るとむしろ「一日(ry」と読めんこともない
「日を同じくし力を同じくし心を同じくすれば何事も成し遂げられる」
という意味らしい
996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:07:31 ID:dj742hlE
母親のみならずその娘まで人柱にしようとは・・・
997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:30:23 ID:5rYk4igc
>>995
拓本なの?現物じゃないのか。
しかし百万一心はわかるけど一日一力一心って
いまいち意味不明というか。
998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:35:15 ID:1X9G9gk+
おぉ、ほんとだ
一日一力一心とも読めるな
関連
井伊直継と彦根城の人柱・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-584.html
毛利元就がまだ子供の頃、
ある日、泣いている娘を見つけて事情を聞くと、
母親が人柱にされてしまって、ひとりぼっちになったのだという。
元就はこれを気の毒に思い、つれて帰って娘を家臣に養わせることにした。
時は流れて、郡山城拡張工事の時の事。
姫丸壇の石垣が何度積んでも崩れてしまい、遅々として進まない。
あまりの難工事に、普請奉行達は神仏の祟りかと考え、人柱を立てることにした。
そこで白羽の矢が立ったのが、元就が子供の頃に助けた娘である。
早速、娘を人柱にしたいと元就に申し出た所、
元就は己の先祖である野見宿弥という人物がその昔、
古墳を作る際に、殉死の人馬の代わりに埴輪を納めたという故事にならい、
「せっかく助けた命、再び犠牲にすることはない。
百万の心を同じくし、一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる」
と、家臣を諭し、紙に「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と書きつけ、
これを石に彫り、人柱の代わりに埋めるように命じた。
家臣たちは言われたとおり、高さ6尺、巾2尺の巨石に言葉を刻み、
人柱の代わりにこれを埋めた所、石垣は崩れなくなり、
無事に工事を終えることが出来たという。
因みに、「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と刻んだこの石は、
江戸時代末期に長州藩士によって郡山城跡で文字の写しが取られ、
それが豊栄神社に奉納されたとされるが、現物は未だ発見されていない。
992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:32:42 ID:VQv0E4Z5
>>991
その長州藩であった山口県では、今もほとんどの学校に「百万一心」の石碑がありますな。
993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:43:16 ID:t1kJaSPt
百万一心の字をちょっとヘンテコに書いて、家臣にそれを問われるとさらにそれにも
意味があったって話もあった気がする。
994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 16:55:16 ID:1X9G9gk+
kwsk
995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 17:19:46 ID:45K5J9CW
>>994
それこそが「一日一力一心」
百聞は一見に如かず拓本を御覧あれ
ttp://www.mapple.net/photos/I03400118001.htm
何の予備知識もなしに見るとむしろ「一日(ry」と読めんこともない
「日を同じくし力を同じくし心を同じくすれば何事も成し遂げられる」
という意味らしい
996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:07:31 ID:dj742hlE
母親のみならずその娘まで人柱にしようとは・・・
997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:30:23 ID:5rYk4igc
>>995
拓本なの?現物じゃないのか。
しかし百万一心はわかるけど一日一力一心って
いまいち意味不明というか。
998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/02(日) 18:35:15 ID:1X9G9gk+
おぉ、ほんとだ
一日一力一心とも読めるな
関連
井伊直継と彦根城の人柱・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-584.html
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コメント
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エピソードとしてはアホほど有名だけど
(つかこのブログの逸話でも何度か「百万一心」の単語自体は出てこなかったか)
まだこの逸話自体は載ってなかったっけか。
( 2009年08月11日 00:11 )
人間七七四年 | URL | 2NKnmN5w
石碑の一と心の幅を見ると、その上は百と万という気がする。
( 2011年09月13日 06:47 [Edit] )
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