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島左近の、関ヶ原後の行く末話のひとつ

2009年08月14日 00:16

島左近   
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 19:05:57 ID:lU4NmnBm
有名な逸話だとは思ったがまとめにないようだったので、
諸説ある島左近の関ヶ原後の行く末話のひとつ。



殿隠しの洞

石田三成とともに関ヶ原で奮戦した島左近だが、
小早川秀秋の裏切りと共に三成軍は総崩れ、
戦場を脱して落ち延びることとなった。
三成はやがて捕らえられ、その後の運命は広く知られるところ。

一方の島左近は、三成と木之本町古橋で別れた後、更に北へと逃れ、
高時川支流最奥の奥川並へとたどり着く。
勿論こんな場所に武将が来るなど初めての事。
驚いた村人は事情を聞き、由緒ある武将だということで、村を上げて匿うこととなった。
村に置いておいては危ないと、更に奥地にある洞窟に匿い、
毎日食事を交替で運ぶなどして世話をした。

やがて残党狩りも収まり、村に追っ手が来ることもなくなった頃に村へと迎え、
家を建てるなどしたので、感激した左近だが、恩に報いる術がない。
そこで村の主な者が苗字に島の字を使うことを許した(上島・中島・生島など)。
他にもいろいろ知識を与えるなどし、平和に暮らしていたある日、
関ヶ原の論功行賞によって奧川並は彦根藩主・井伊氏直轄となってしまい、
その上、現地に検分に来るという。

左近を匿っていたことが知れれば、村人もただではすまないだろう。
困り果てた村の者達は相談したがよい案もなく、
仕方なくある夜、左近の寝込みを襲い、梯子で動けないようにして殺してしまった。
更に家にも火をつけて焼き払い、左近が村にいた痕跡をことごとく消してしまう。
その上で口外無用と厳しく申し合わせた。

かくして村は、彦根藩による検分を何とか免れた。
奧川並には今も左近を隠した洞が「殿隠しの洞」としてあり、
上島・中島・生島の苗字を三島と呼び、
左近の家跡を島屋敷と呼ぶなど、左近に関するものがあれこれ残っているという。


関ヶ原で小早川の裏切りによって破れた島左近、
その最期もまた人々の裏切りであったという悲しい話。





367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 21:22:43 ID:MTgEa1r0
>>366
きっと武将の首の取り方も村人に教えたんだろうね。
イイハナシダナー

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 21:40:02 ID:qR8eFuKI
南のDQNの元に辿り着いていればなあ。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 22:42:03 ID:/ZqCBd3B
>>366
途中までうんうん、いい話だなーって思ってたら、
寝込み襲って殺したって…左近ほどの武将が…
これ悲しすぎるだろ…


372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 22:46:03 ID:8EUgV5rv
>>371
落ち武者伝説にはよくあるパターンではあるね。
八墓村も基本的にはこれと同じ流れだな。あれは尼子の武者だったか。


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