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斎藤道三と槍

2009年08月18日 00:07

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 01:02:17 ID:ndt+Y0c8
稲富さんは本番になると指がプルプルするタイプ



517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 10:28:38 ID:hd7VlS60
>>507
孫には任せておけないと稲富祐秀がアップを始めたようです

とまぁ、何かの達人繋がり、というと少々苦しいが
まとめに載ってなかったようなので斎藤道三のお話でも

斎藤道三といえば戦国時代に名を馳せた下克上の梟雄、最近では
父・新左衛門尉から二代に渡った親子鷹だったとも言われているが、
何も謀略一本の人ではない。美濃でも屈指の槍名人でもあった。

若い時、各地を放浪し数多の合戦を目にしてきた斎藤道三、
阿鼻叫喚の合戦場で見出したことは、槍という武器の有能さだった。
合戦場でもっとも敵兵を殺傷したのは弓矢だと言われているが、遠巻きに
矢を射て大将を落としたとて首級が取れねば意味が無い
その点、槍は遠距離からの突き以外にも薙ぎ払い、叩き、騎馬突撃にすら
対応できる武器であった。

斎藤道三>>これからは、槍の時代だ。m9っ;・`ω・´)っ━━lコ三ヲ

それに勘付いた道三、その日から猛稽古を始める。
長さ3㍍はある竹竿の先に太い針を縛り付けると、家の軒先から糸で結んだ
一文銭を吊り下げ、それを催眠術よろしく左右に揺らす。一文銭の中心には
四角い穴が開いているが、この穴に先ほど造った稽古用の槍、その先端が
確実に突き刺さるように毎日数百回という気の遠くなるような稽古内容だった。

やがて、道三の槍は百発百中で一文銭の穴を突き抜くようになり
戦場に赴けば道三の往く処、胴丸の合わせ目や咽喉輪の隙間を一撃された
敵の骸が山を成すようになった。
そして、この武勲が美濃の長井家や守護職土岐家への仕官・栄達に繋がり、
はては美濃一国を掠め取る基盤となったのだった。

また、斎藤道三という人は自分の槍をとても大切に扱う人だったという。
戦国初期頃の当時、槍というものは嵩張るものなので普段は屋敷内に置かず
軒下に置いておくものだったそうだが、湿気や害獣がはびこる場所だけに
柄が腐ったり穂先が錆びることが多かったという。
道三はそうならないように、節をくり貫いた竹に槍を納め布袋に包んで
軒下に置くようにしていたといい、この心がけは主君にも多いに褒められたという。

…現代日本でも誇れる"サムライ"の一人にシアトルマリナーズのイチロー選手が
挙げられるが、彼は野球選手として栄達するのはどうしたら良いかと問われると
こんな教訓の言葉を口にするという。

イチロー>>練習をしろ、野球道具を磨け、宿題はちゃんとやれ。

達人の精神は五百年過ぎても先年経っても、変わらないもの。
そんな斎藤道三の、(成り上がるための心がけについての)良い話。




518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 11:56:42 ID:ItKTqfJ2
それがこうじて一文銭の油売りなんて芸当が出来たのかな?
逆か?

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 12:49:45 ID:xRhvI38n
>>517
その槍を入れた竹に土岐頼芸の鷹がとまった事から
頼芸と道三は知り合った、って話もあったよね。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    美濃のマムシはきれいなマムシ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    油を売ってたのは道三の父です。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    まんま国盗り物語のエピソードだが、元ネタがあるんだろうか?

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