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島津貴久が国分の八幡宮を訪れたとき、とある夢を見た

2009年08月23日 00:16

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 23:26:17 ID:xocVzjDx
戦国末期、キリスト教や鉄砲と供に洋馬(アラビア馬)も日本にもたらされた。

島津貴久は日本で始めて鉄砲を実戦に投入した大名として有名であるが、実は
洋馬の育成にも力を入れていた。
その様は「三国景勝絵図」に「吉野唐牧は異国の種を牧畜す」と書かれるほどであり、
今も鹿児島市内に牧場跡が残っている。

そんな貴久が国分の八幡宮を訪れたとき、とある夢を見た。
その夢には白髪の老人が現れ、このようなことを告げた。
『自分は馬頭観音である。長い間ここにいるが、誰も私のことを顧みてくれない。
 貴久よ、もし私のために寺を建ててくれるなら、長くこの国の守護となりお前達を守って進ぜよう。』

翌日、弥勒院の日秀上人や八幡宮の桑幡神官と囲碁を打っていた貴久は
昨日の夢のことを相談した。
「実は昨日、かくかくしかじかの夢を見た。これは霊夢と思われるが私には俄かに判じがたい。
 お二人はどう思われるか、一つお考えを示してくれぬか」

すると上人と神主は顔を見合わせた後、異口同音に答えた。
「それは紛れも無い吉夢です。実は私達も同じ夢を見たのです。
 是非お寺を建立なさいませ、さすればご当家の繁栄間違いありますまい」

そこで貴久は、今しがたまで使っていた愛用の基盤で、馬頭観音の像を刻み、
八幡宮の近くの獅子尾山に観音堂を建て奉った。
そして正月18日を祭り日とし、馬に鈴を飾り付けて参詣させ、踊りを奉納させることにした。
これが今に伝わる「鈴懸馬」である。
時に天文二十一年、貴久の息子達が初陣を飾る二年前のことであった。

しかしまあ、狐に道案内してもらったり、ネコに助けられたり、馬(の観音様)に守ってもらったりと
戦国時代の薩摩は結構メルヘンチックなところだったのかもしれない。







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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    国分だから

    馬標や幟を切り貼りしないで、高く掲げて進もうね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    鹿児島神宮の初午祭は20年ほど前に、NHKみんなのうたで「ふるさと春まつり」という歌で
    出ていますよ。ttp://cgi2.nhk.or.jp/minna/search/index.cgi?id=MIN199302_03

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