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久世三四郎広宣、元同僚のねたみに

2009年08月28日 06:57

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:46:55 ID:TJUy1lK2
久世三四郎広宣は榊原康政の家臣だったが、家康に見出され、直参旗本となった。

大阪冬の陣の際、広宣は家康に、物見に出て旧主の子・榊原康勝の陣に行き、どれほど
攻め寄せたか、その先は通れるのか見て来るよう命じられた。

榊原家の侍たちは、直参となった広宣と陪臣の身に甘んじている己を引き比べて
妬ましくなり、
「この陣の先は、鉄砲の弾が飛び交い危ないぞ。見に行かず早く帰ったほうが良いわ!」
と、意地悪を言った。

これに対し広宣は、
「榊原家の城攻めは、城方と自軍の旗先が当たるほどに攻め寄せるのが、軍法よ。
弾が飛んで来るということは、敵陣はまだまだ遠いということじゃ。
わしが貴殿らと肩を並べて戦っていた時は、こんな事は無かったはずだが、貴殿ら、
いつの間に臆病神を憑けおった?
わしら旗本衆は、この程度は何程も無いわ!」
と言い返して立ち去った。

榊原家の何者も、広宣に答えられる者はいなかったという。




774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 23:56:33 ID:jAkoB+ZE
康勝「臆病神は憑いておらぬが、尻に疫病神が取り憑いてござる」

775 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/27(木) 00:14:51 ID:Rh+mWj8U
>>773
確か、この人の家臣だったよな
復興した大阪城の大砲の筒の中に入って遊んでたのw

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:18:54 ID:18y5Gpto
>>775
それは戸田氏鉄さんところだな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-745.html


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 00:22:24 ID:lCTVkZ/p
>>773
筑後川氏の大阪の陣絵巻の逸話ほぼそのまんまだな


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