戦国三大美少年筆頭 名古屋山三郎の美勇伝

2009年09月01日 00:10

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 03:58:47 ID:4AYOzsaY
戦国三大美少年筆頭 名古屋山三郎の美勇伝 (織田九右衛門)

信包時代-女の子と間違えられ男衆の元にしばらく帰れなかったとの逸話が残る。

「氏郷記」-蒲生氏郷小姓時代に陸奥名生城攻・島津氏討伐・小田原北条攻め・九戸政実の乱で
数々の一番槍一番首を上げ15歳にて「槍師 槍師は多けれど 名古屋山三は 一の槍」
と全国に響き渡る流行り詩にまでなった。それぞれ二千石-五千石を賜った。
蒲生氏郷が没後、京の四条付近で浪人生活を送る とある。

「森家家臣各務氏覚書」-「名古屋山三郎殿、御かたち美男にて之れ有り。
御身上の妨げのも成り成り。 主もうるさく思し召し御法体になされ宗圓と申し候。」
名古屋山三郎のその容姿は美し過ぎて身の上の妨げになるから主も困ってしまい
出家させて宗圓と名乗らせた。
名古屋山三郎は氏郷死後も蒲生家に仕えたかったがあまりにも美男過ぎて
それが仇となったと伝わる。(主が出家させざるを得ない何かを起こしたとも)

大阪の民衆の間で三歳違いの又従姉(はとこ)淀の方と密通したとの浮き名が流れ
淀の方の二人目の子は名古屋山三郎の子だという説が根強く残る。

一流の者には称賛するが二流者には厳しかったと言われる細川幽斎が
詠んだ詩「かしこくも 身をかへてける薄衣 にしきにまさる 墨染めのそで」
剃髪して「宗圓」と名乗る坊主になった名古屋山三郎だが
山三郎が見に付けていると地味で安っぽい薄衣も錦にすら勝る墨染め物にすら見紛うと称賛した。

細川忠興の叔父:玉甫紹「玉甫録」-名古屋山三郎は武勇に優れた美男子なだけではなく
遊芸にも通じ、山三郎の周りでは艶事が常に絶えず- 
(この頃京の四条いた出雲阿国と浮き名が流れたとされる)

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 04:08:44 ID:4AYOzsaY
~ つづき ~

出家先の大徳寺でもその美貌が妨げになって只ならぬ事が起きたらしく
実妹・於岩の方が嫁いだ森家へ還俗する事となった その際「宗圓」から
「織田九右衛門」と名乗った。

主君森忠政からの扱いは新参者とは思えぬ厚遇で井戸宇右衛門との対立が絶えなかった。

当時の記録を残した資料「懐橘談」「雍州府志」「貞丈雑記」などは出雲阿国が、
かつて自分の愛人だった、山三が笛を鳴らし阿国が舞って夫婦共演した、
「名古屋山三」の霊の前で阿国が一時を楽しみ別れを悲しんだ、一座の演出者であったとあるが
阿国一座の演目中の「名古屋山三」として演じられた登場人物なのでこれは省く。
(阿国歌舞伎と同じく遊女歌舞伎・若衆歌舞伎・江戸歌舞伎・現代歌舞伎・浄瑠璃も省く)

慶長八年-没後、細川家菩提寺大徳寺・高桐院にて「梅林院殿久嶽宗遠居士」という
法名で丁重に葬られた。
織田家・蒲生家・細川家・森家それぞれの主君に寵愛をうけ何より民衆から愛された人物であった。
(織田信包-蒲生氏郷-細川幽斎-森忠政) 
天下一傾き者-天下一美少年-槍の山三として親しまれる。

産まれついて美貌で寵愛されるもその美しさが身の上の妨げになった事があまりにも多く
自身の容姿に異常に劣等感を抱いてたからこそ武勇や芸に身を窶したと言う説が残る。

度々、資料に出てくる只ならぬ事とは淀の方との密通とも言われているが、
氏郷時代に入城する際秀吉側室には山三郎の親族が多かった為、挨拶を交わした程度の話が
噂に尾びれをつけて広まったと言われる。
信包のもとに茶々姫が預けられている時、幼少の山三も信包のもとにおり
元服を迎えてなかったので元々面識があって再会を親しんだだけの話とも

美少年の代名詞となり 歌舞伎の祖-初代「女形」として現在に至る

この人関してはこのスレの住人のが詳しいと思うので省略




878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/31(月) 06:53:03 ID:MAAkvAR+
>>875
浅香庄次郎すげぇ
ただ美形だっただけの人で特になんもしてない人だと思ってた


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    878のコメントは875へのコメントなので、お隣 blog-entry-2732.html へのやつですね

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