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名古屋山三郎の出自

2009年09月09日 00:07

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 02:34:41 ID:EZcN6MgH
名古屋山三郎の出自

>>69に便乗させてもらうが、名古屋山三郎の父名古屋因幡守高久は
信長の主君筋の斯波氏(尾張足利家)と別流の清和源氏の名門嫡流。
足利将軍家、室町将軍家と同族だから例え織田家代表だとしても
そんな高い格式の人が来たら秀吉じゃなくても普通驚くか小便漏らす。

名古屋因幡守高久の先祖は幕府軍の大将として盟友・足利尊氏と共に
北条・細川・今川を率いて戦った事もある。(名越高家は剣術と槍術の達人)

清和源氏の血を取り込む(大義名分の)為に織田家と一族統合されてるが
織田の血を引いてようが足利氏・北条氏・細川氏・今川氏・武田氏・最上氏は
絶対養う程の芸術家一族の家柄(残念ながら戦国後期では殆ど壊滅状態だが...)

能楽・狂言・猿楽の時代から出てくる「名古屋高家(名越高家)」や「名古屋尾張守」は
山三郎の事じゃなくて、その人たちの直系の末裔が名古屋山三郎(現在では混ざっちゃってるが...)
山三郎は将軍家(天皇家)、織田家の血を引いてる自覚がないのか、ほいほい
遊びに行っちゃう奴だが

名古屋高久と近い人物は皆、"傾奇者"と言われてる(信長・利家・山三郎etc.)
尾張の気風がそうさせたのか、高久が伊勢で南蛮貿易してたから珍品が多かったのか
古来からの伝統品を持ってたからなのか全部が混ぜ合わさった形でなったのか不明だが

歌舞伎で名古屋山三郎を主人公にのし上げたのが、
個人的なファンだったのか面識があったのか判らないが出雲阿国

"室町幕府名越高家のご息女、織田信長様の血筋も引かれる"
"室町幕府高家、即ち足利将軍家の縁類で、名越高家の嫡流" (名越 名児耶 
名護屋 名古屋とも書く) 

父高久は名古屋家直流嫡男 妻を織田家から貰う
母養雲院は"織田刑部大輔"(信包の息子)の娘 父方が名越家の者
病弱だった長男の死後、山三郎が名古屋家の家督を継ぐ
"をせん"を除いて最終的に三人も正室に入れた森家は実は何気に凄い一族。

ソース「名越家先祖由来書」「森家家臣各務氏覚書」




101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 02:59:27 ID:1A68QoIV
慶次郎もそうだったんだろうか

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 03:35:42 ID:dlyLSIKZ
>>100
なんか読みにくいが、名越って北条の庶流じゃないの?ってつっこみは野暮なのか?

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 04:03:30 ID:EZcN6MgH
>>102
読み辛い文章になっちゃって申し訳ない。 
そのまま現地に残ったのが名越流北条氏で名越の地から
尾張の那古野の地に移ったのが名越家みたいです。

遠祖が一緒なだけで勿論、北条であってます。(途中で別れた家みたいです)

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 04:06:12 ID:ZRgqCN4y
鎌倉末期あたりの北条氏って異常に肥大化してるよね。大族にもほどがある。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 04:10:29 ID:1A68QoIV
ググったら加賀藩名越家の出らしいから名越尾張氏か
孫の代じゃ前田家と主従逆転してるのか?

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 04:30:49 ID:1A68QoIV
>>105
自己補足 前田家の書物に名古屋隼人ってのが三千石で仕えてる

北条は東国領地だけでどんだけいるんだ?

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 05:56:18 ID:w7CpY8Vz
北条氏がどんだけ分裂したかなんて専用スレか系図がないと無理だぜ
胡散臭い家系じゃなくて正当な家系だけでも多すぎて
むしろ系図があったほうが判り辛いやも知れん

尾張守護斯波氏と関係が深いのと加賀藩主因幡守敦順と
将軍足利義輝と信長の謁見を執り行ったと名古屋家は
正当な資料と出典があるだけまだいい

北条一族のカオスさを語りたければ鎌倉から語らんと無理

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 09:33:49 ID:+wXNX27I
>>104
それが南北朝期に消滅して、諸流が細々と残るだけになるのだから、怖い。
しかも、滅ぼした新田氏もそうなっちゃうし。


111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 13:55:49 ID:F6jEnbB6
後北条氏と名古屋氏はどっちが北条氏の系譜としては嫡流に近いんだろうか。

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 14:10:27 ID:ZRgqCN4y
>>111
後北条氏は伊勢氏だから、執権北条氏とはぜんぜん関係ない。
繋がりがあるとすればどちらも伊勢平氏、ってくらい。

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 14:53:33 ID:eIafOAOZ
事の発端であろう畠山義継の不始末がすっぽり抜け落ちてるところが素敵だぜ伯母上
大内・畠山が嫁の実家を攻めたのが原因ですよねー

114 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/08(火) 20:12:45 ID:n/HSDy6P
そういえば七本槍の中にも北条の末裔がいた気がするけど


115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/08(火) 23:26:34 ID:w7CpY8Vz
>>111
後北条氏は桓武平氏伊勢氏流の一族
名越氏は後北条氏とは別に幕府領を預かってるから
尾張斯波氏と共に尾張に移った一派と見た方が近い

要するに戦国期まで行くと比べるのが難しいくらい別流に隔たれた一族

>>114
平野長泰か!

116 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/09(水) 00:47:02 ID:cYTVgbHA
>>115
大丈夫だ、源氏も平氏もさかのぼれば桓武天皇w

いや、何が大丈夫かは大丈夫じゃないかもしれないが、とりあえずは大丈夫

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 01:00:15 ID:Ds+Vd2jc
>>116
戦国とは桁が一つ…そこまで遡ったら戦国まで残った名門一族の出は
全員家族で大団円っていう長い前振りのいい話だなw

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 01:38:49 ID:L8ABGV4S
身内の喧嘩でございましたかw

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 01:51:59 ID:IhZxHOyy
俺のちっぽけな頭だったら

ラスボスも家格ある人に来てもらえて相当嬉しかったんだね
で終わる所が、北条の系譜から最終的に桓武天皇まで出てきてワロタw
確かに戦国は壮大な家族内抗争だわ

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/09(水) 02:01:13 ID:HG2BZ8s9
鬼武蔵「人類!」
まーくん「皆!」
三歳「家族!」
悪久「ですよね!」

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 02:05:50 ID:P2GEu52/
実季「ボクは俘囚の血だもんねー、実季ちゃん」
仏像「ソウダネサネスエクン」

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 03:22:54 ID:O+b8dcat
>>100
歴史上の人物と自分の家を繋ぎたいというのはわかるが
足利斯波と北条名越を親戚にするのはどうなんだろうかw?
斯波の初代家氏のかーちゃんは名越ではあるが・・・

普通に北条自慢じゃあかんかった?やっぱ清和源氏の方がカッケーのか?

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 11:54:29 ID:VViDKU9k
>>122
そりゃまあ、やっぱ、将軍家である清和源氏と比べたら、
北条がいくら銘家といっても執権止まりだしって事では。

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 12:44:36 ID:qkx3VZ+d
源平交代思想と言うのが有って、源氏→平氏→源氏→平氏と、
時の政権を交代で担うと言う思想が有った…
従って足利氏(源氏)の次は織田氏って事で信長は平氏を
自称したらしい…かなり嘘っぽいけど。
まあ、戦国期は平氏=負け組ってイメージがあったから、
本当の末裔じゃなければ、平氏を自称した家は少ないよ。


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これ読んで字がごとく名越高家嫡流が名古屋家で
    得宗家嫡流が北条家だと思うんだが違うんだろけ?

    もっと奥の深い北条家全体の話をしてるんだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | Arv.U3Tk

    >そういえば七本槍の中にも北条の末裔がいた気がするけど

    平野長泰だね
    北条時行後裔横井氏の分かれ

  3. VIPPERな名無しさん | URL | -

    こいつ、ひょうげものに出てたな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    確かに長い目で見たら戦国時代は身内同士の戦いだな

    へうげものやっぱ阿国のあとに出てたねぇ
    切っても切れない縁なんだな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>111
    「難太平記」には今川那古屋氏は名越高家の子、那古野高範(高邦)が
    今川国氏の次女を娶り、その子が今川基氏の下で育てられ代々那古野氏として
    幕府から那古野荘(名古屋市周辺)を預って今川一門に加わると記録されてるので
    名越家はその後、北条家ではなく代々今川那古野氏

    今川那古屋氏系図にも名越家先祖由来書にも
    -名越高家(名越尾張守高家)
    -那古野(名越)高範(高邦 妻:今川国氏2女)
    -那古野(名越)三郎
    -今川(那古野)下野入道
    -今川(那古野)兵部大輔
    -今川(那古野)大夫判官
     --「今川(那古野)左馬之助氏豊(妻:斯波義達女)-(那古野)氏秋-(那古野)氏明」
    -那古屋蔵人高信(高邦曾孫の子)
    -那古屋弥五郎勝泰長
    -那古屋弥五郎勝志(清州城代)
     -那古屋弥五郎敦順(那古野城代 高久、高氏 妻:織田刑部大輔女)
     -那古屋(名古屋)山三郎九右衛門(織田氏 嫡子:加賀名越氏 女:森左兵衛家)
     -名越山三郎蔵人(加賀藩士)
     -名越山三郎隼人(加賀藩士)
     -名越小十郎右門

    養子 今川(那古野)左馬之助氏豊(妻:斯波義達女)-(那古野)氏秋-(那古野)氏明

    とあるから名古屋家は名越高家嫡流なんで北条の血も濃いが2代目から完全に今川那古野氏
    山三郎の代では織田氏なんで家柄的には後北条氏とは別家門

    後北条氏はなんだかんだで北条氏族の一門扱い
    丁寧に書けば名越氏(北条)と那古屋氏(今川)と名護屋氏(織田)が同じ一族

    「尾張國誌」には「始め那古野氏の人、此地を領して城を築くと云ふ 
    次ぎに大永年間今川左馬助氏豊の居城と成る」と有り同世代の
    那古屋氏が築城して今川氏豊が那古野城に入城したと記録があり

    「言継卿記」には「今川那古屋殿へ隼人遣之、太刀ニテ礼申候了、所労云々」と
    太刀を贈ってお礼を申し上げたと記録が有るんで

    定説通り今川氏豊は今川那古屋氏に養子に来ていると記録は残るのに
    今川(那古屋)氏豊の名が「今川氏親公葬記」に痕跡が残ってないから
    今川宗家からの養子なのか最初から名古屋氏の庶流なのかが不明(欠席して残らなかった説も根強い)

    本能寺で討死にした信長の小姓、今川(那古野)氏明(氏豊の孫)がいるから
    庶流の今川(那古野)氏豊家も三代までは続いてる

    代々織田家中に芸事を教えた一族で蹴鞠、狂言、連歌、舞踊、書画などを嗜む今川の血が濃い一族 

    清和源氏の血を取り込む為と書かれているがそれは×
    織田信秀が今川氏豊を追放して後々、将軍家との執り成しが上手く運ぶよう期待して嫡流家を復帰させ
    暫くして生まれたのが名古屋山三郎

    阿国さんとは師弟(恋人)関係もあったのかも知れないが
    山三郎の流派を残したのは山三郎の弟子の村山又左衛門の村山流で
    又左衛門の三男、村山又三郎が寛永11年(1634年)に江戸日本橋に村山座を起し女形の歌舞伎を残した

  6. 人間七七四年 | URL | -

    113は別の逸話へのコメントのようです

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