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小田原討伐と戸沢盛安

2009年09月10日 00:13

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 05:23:46 ID:tpbRqi9a
小田原討伐が始まり
秀吉は京を発って東海道を下り始めた。
その頃出羽角館戸沢家の若き当主であった盛安には先見の明があった。
彼は東北の大名としてはいち早く小田原討伐への参加を決め、
わずか9騎ながら秀吉の元に参陣するため、
日本海から海路を通り京を目指していた。
まあ当然、彼が京に到着する頃には、
秀吉は既に京を発って随分経っていたものだから、
盛安は今度は大急ぎで東海道を行き秀吉を追いかけた。

ところが馬を飛ばしハイペースで進む彼の前に東海道一の難所が牙を剥く。
「箱根の山は馬でも越すが、越すに越せれぬ大井川」
である。

秀吉はどうやらこの先の島田で陣を構えているらしい。
ところが秀吉が川を渡ってから盛安が到着するまでの間に、
このあたりでは大雨が降っていて、大井川は増水し、
とんでもない濁流となって盛安の目の前に立ちふさがっていた。

しかし戸沢家の家運を背負って立つ盛安の熱い気概は、
そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった。

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 05:25:21 ID:tpbRqi9a
数刻後、
夜もとっぷりと更けた島田の秀吉の陣に
たった今、着陣したのでお目通りを請いたいという若武者が現れた。
頭の先から爪先まで具足ごとびしょぬれの若武者は、
秀吉の前に通されると、こう名乗りを上げた

「出羽は角館の住人、戸沢九郎盛安。
此度の戦に是非とも馳せ参じんと
大井川を泳いで参った!」

秀吉はなんで出羽の住人がわざわざ大井川を越えてくるのかと不思議に思ったが
大いに驚き、またそんな盛安の行動を褒めたという。

ただそんな無茶をしたせいか、
盛安は小田原の陣中で24歳という若さで病没することになる。
泳いで参るのも大変なのだ。




125 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/09(水) 05:52:13 ID:cYTVgbHA
>>124
秀家「・・・」

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 07:12:38 ID:xxVtoMtb
夜叉九郎、蒲生氏郷らが生きていたら関が原はどうなってたんだろうか。

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 08:29:07 ID:9RxH8Q8w
盛安の跡を継いだ彼の弟も朝鮮出兵の最中にあっけなく病死しちゃったそうだし、
蒲柳の質だったんだろうか戸沢兄弟

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/09(水) 09:48:39 ID:YiKn97Cq
さすがに関ヶ原の結果をどうこう出来るほどの身代じゃないでしょ盛安ちゃんは
蒲生氏郷が生きてると石田家に人材が流れないだろうから西軍が悲惨なことに・・・



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    泳いで参ったせいで肺炎で死んじゃったなんてオチじゃないよね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ムチャシヤガッテ

  3. VIPPERな名無しさん | URL | /02qLiNA

    関ヶ原の結果は確かにどうこう出来ないが
    少なくとも政盛よりはうまくたちまわれた
    んじゃないのかな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    泳いで参った並の逸話だけど、嘘は無かろう。
    因みに、角館→京都→大井川→島田(相模国)
    ・・・距離的には恐ろしいレベルだな。km換算すると恐ろしい事になりそうだぜ・・・
    馬の扱いがそれだけ上手だったと見るべきだな。

  5. 人間七七四年 | URL | t4BXKsVg

    甘酒さんこ

    盛安の子の政盛も、数奇な運命ではひけをとらない。
    盛安が鷹狩りの休息先の百姓娘に手をつけ、男子が生まれた。知っていたのか知らなかったのか、認知もされず母親は彼を育てるために甘酒を作った。(子に飲ませたとも、売ったともいう)彼女は甘酒さんことよばれた。
    やがてさんこは彼を連れて里山伏の東光坊という男に嫁いだ。

    男子が8歳になった頃。戸沢家は盛安・光盛と相次いで失い、危機にあった。
    そこで家臣達はさんこの子に目をつけ、東光坊に子を渡せとかけあったが、東光坊は激しく拒否したため、その場で斬殺された。
    拉致同然に連れてきた男子は秀吉に目通りし、戸沢家の相続を認められた…が、出自の低い秀吉が呆れるくらいの庶民の子だったらしい。この子が戸沢政盛その人である。

  6. 人間七七四年 | URL | t4BXKsVg

    甘酒さんこ:2

    すいません、長文につき分割で。

    以後の政盛には、行儀の悪さを伝えるエピソードが特にないところをみると、必死に武家の子になったのだろう。
    後、常陸松岡を経て出羽新庄藩の初代藩主になったのは周知の通り。
    そんな彼が、だいぶ後に幼少期を振り返って語った話がひとつ残っている。

    養父・東光坊は畑仕事には彼を連れて行った。畑は川の向かいにあるが、結構深い川だった。
    東光坊は種入れの大瓢箪を彼にくくり付け、おぶって行くのが常だった。
    渡ると川の水は東光坊の首近くまで来たが、政盛は大瓢箪のおかげでぷかぷか浮いた…

    『新庄古老覚書』に出ていた話。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    イイハナシダナー(AAr

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ちょっとwwこのコメントさんヤバすなぁ(T . T)

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