小野寺義道と由利十二党の人質

2009年09月17日 00:18

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 05:58:23 ID:jCwKIiZ1
ではベタないい話を書きましょう
丁度まとめにもない出羽小野寺氏の




ヘタレやらお馬鹿やら言われる小野寺義道……がまだ家督を継いでおらず、小野寺景道の時代
景道は国元を嫡子である義道にまかせ、上洛した。
留守を預かった義道、気負う所でもあったのか由利十二党に人質を要求した
ある時は最上に付き、ある時は大宝寺に付き、またある時は小野寺に付き、
またまたある時は安東に付く由利十二党
頭の痛い存在であることには違いはない。
由利十二党も正面から小野寺と戦うことも出来ず、素直に人質を出した。

しかしこんな強引な事をされて気分のいい者はいない。
そうでなくてもあまり人気のない小野寺、由利十二党らは安東氏に親戚を持つ者も多い

と、これをどこからか伝え聞いたのは小野寺の人質になっている由利十二党の一つ、
石沢氏の母である。
このオカン、大した肝っ玉というか烈女だった。
自分が邪魔ならと、とっとと自害してしまったのだ。
だがそれだけではない。
このオカン

 他 の 人 質 も 一 緒 に 自 害 さ せ た の で あ る 

集団自殺のさきがけとでも言うべきか……
とはいえ、一緒に死んだのは皆男子であるのがせめてもの良心だろうか。
幼女だった矢島、下村、玉前の人質はこの集団自殺に巻き込まれずに済んだ。

こうなってはもう由利十二党も戦うしかない。背後の安全と援助を安東氏に頼み、
義道と一戦交えた。

義道は数で勝りながら伏兵に引っ掛かって負けた。

由利勢の勝利である。

がしかし、こうなった以上戦国の習いとして人質は殺されるだろう。
まして負けて気の立っている小野寺勢は殺せ!殺せ!ムードだった。
だが義道

「元々人質を取ったのは彼らに心変わりせず小野寺の味方で居て欲しいからだった
 だがどうだ? 人質をとったところで彼らは私の敵になったではないか
 もはや人質などとは意味のないもの。三人の幼女はちゃんと送り届けてやれ
 その上でもう一度由利に攻め込み堂々と勝とうではないか」

と家臣の日野内匠と奥山八郎に人質の幼女を矢島氏らに送り返したのである。

これに感激した矢島、下村、玉前氏は以降、由利十二党の中で小野寺派となるのだった。





486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 07:08:45 ID:yhhR7GrF
>>485
はた迷惑なオカンだなおい…
まぁそれは別として義道カッコイイ!


490 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/16(水) 09:09:48 ID:zPLB4x2s
>>485
それより時代は下って慶弔^h^h慶長の頃、集団人質自殺は某DQNのところ以外では
発生しなかったw


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    すみません下記エピも小野寺義道(小野寺家)カテゴリで統合なさってはいかがでしょう。
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3305.html

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小野寺五典という方がシャドウキャビネットの一人に入っていたけど
    この系譜に連なる人なのかな?

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