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上杉景勝とキリシタン弾圧・いい話

2008年10月18日 15:39

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/17(金) 16:17:36 ID:FuS4ZW1F
有名だと思う上杉景勝の話。

秀吉、次いで家康によって禁教令が敷かれた頃だが、
上杉領ではキリシタン弾圧が比較的緩やかだった。
景勝自身は仏教徒であり別にキリシタンに好意を抱いていた訳でもなかったが
別段嫌っているわけでも無かったので熱心に探して弾圧する気はなかったらしい。
そして米沢に移されたあと、
上杉家にも幕府から「領内のキリシタンを処罰せよ」と命令が来た。
しかし景勝はそれに対し「我が領内には一人のキリシタンもござらぬ」と回答し
景勝の生きている間米沢ではキリシタン捜索も処罰も行われなかった。
景勝は家臣領民のうちにキリスト教徒がいることは知っていたのだが
「有能な家臣を殺す事は国の衰退に繋がる」と考え
キリスト教徒であることだけを理由に家臣を処断する事を良しとしなかったのである。

まあ家臣が付いてきすぎて財政を圧迫した藩なんで
手放しに良い話なのかはちょっと疑問が残るとこだけど。




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/17(金) 16:47:36 ID:nTNjyVAR
>>542
多分、景勝の家臣のキリシタンというのは、重臣の一人だった甘糟右衛門とその一族のことかと。
ちなみにこの甘糟は、景勝の死(1623)の後に、キリシタンとして処刑されてるね。


>   北山原殉教地の十字架像の手前右には、十字架が刻まれた自然石が置かれている。その土台に
>  埋め込まれた銅版には、次のように記されている。
>
>  「この十字碑は徳川幕府の切支丹禁令により寛永5年12月18日永遠の生命を求めてここで死刑に服した
>  カトリック信者米沢藩士甘糟右エ門一族が無足町の自宅でひそかに信仰の対象としていたものである。
>  それが無足町の立身不動尊内に遺してあったので米沢カトリック教会内の北山原会が彼の処刑後335年目の
>  昭和39年12月18日この地に移したものである」
ttp://www.cbcj.catholic.jp/jpn/library/book/hand2007/fukushima_yamagata.htm


景勝は甘糟をはじめとしたキリシタンの家臣を、信仰ゆえに切り捨てなかった(もしくは切り捨てることが出来なかった)
のは、ある程度まで確かなんじゃないかな?


547 名前:546[sage] 投稿日:2008/10/17(金) 18:15:46 ID:eoQKFNro
>>541
いい話ですね。景勝の宗教関連の話はあまり知らないので、こう言う話は興味深いです。
感想が後になりまして、申し訳ございません。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「偉大なる異教徒」みたいに言われたんだっけか

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