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名刀「本庄正宗」由来

2009年09月19日 00:17

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/18(金) 02:57:57 ID:dCsn+FGw
本庄正宗


天正16年(1588年)8月、出羽庄内の支配をめぐって、最上義光と、上杉景勝の援助の元
本庄繁長、武藤義勝の連合軍が戦った、十五里ヶ原の戦い

数に劣る最上軍はじりじりと追い詰められ、今やその利を失いつつあった。

最上の陣将、田川郡大浦の城主、東禅寺勝正は、その兄義長を討たれ、
さらに自軍の部隊長、草岡虎之介を、敵将本庄繁長に直々に討たれると言う
屈辱を味わった。

東禅寺勝正はかねてより勇義の士として知られており、この屈辱に報いんと、
兜首一つを掲げ、越後勢を装い、本庄の陣へと入り込んで大声で言う

「私は越後黒川の者である!今日の合戦で敵の旗頭を討ち取った!」

そしてその首を持って、実検のため本庄繁長の前へと出る。この時、叫んだ

「東禅寺右馬頭(勝正)の首を見よ!」

手に持った首を繁長に投げつけると、同時に日ごろより刺している正宗の刀で
抜き打ちにした!

彼の刀は本庄繁長の明珍の兜を頭から耳元まで切り裂いた!
が、繁長の体には届いていない。
勝正は組み討ちにせんとしたが、繁長も武勇を謳われた男である。
逆に勝正を取り押さえ、ついにその首を上げた。

繁長は東禅寺勝正の首を、このときの刀を添えて実検にかけたが、
後に刀は繁長に下げ渡される。

その後、この本庄繁長は豊臣政権より一揆扇動の罪を問われ、景勝の下から
牢人するのであるが、この時貧窮に陥り、あの東禅寺勝正の正宗を、本阿弥光悦に
取り持って貰い、金百枚で徳川家康に譲り渡した。

その後、この刀は紀伊徳川家へと伝わり、「本庄正宗」と呼ばれ、大いに珍重された
そうである。

出羽十五里ヶ原の戦い、名刀「本庄正宗」由来のお話。




578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/18(金) 10:32:11 ID:8dX0U7Jo
>>576
今、新潟の村上で第二の天地人と題して本庄繁長展やってるんだよな
連休に行ってみたいけど遠い

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/18(金) 10:38:46 ID:dCsn+FGw

>>578
そんなことやってるんだ!いいなあ。
関ヶ原の後徹底抗戦を掲げる直江に対し、和平を主張したのが本庄だけど、
大河のほうはどうなることやらw

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/18(金) 16:57:16 ID:W2ON0xZ6
ああ、本庄正宗が流れるのは、繁長が流浪したからなのか・・
波乱万丈だなあ、彼も


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