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立花宗茂と瀬田の大橋・いい話

2008年10月18日 15:42

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 00:20:54 ID:xtW60oQ9
関が原の戦いのときに九州の戦国武将立花宗茂は西軍について
東軍の京極高次が守る大津城を攻めていた。宗茂はこの戦いで大いに活躍し、
大津城を降伏開城させることに成功したが、肝心の関が原の合戦で西軍が敗退したとの
知らせが入ったため、大坂城へ撤退することになった。
その際、味方の武将から東軍の侵攻を遅らせるために琵琶湖近くにある瀬田の大橋を焼こうという
意見が出たが、立花宗茂は「古来より 瀬田の橋を焼いて勝ったためしがない。都人の迷惑になるからやめよ」
と主張してやめさせた。後にその話を聞いた家康は「宗茂はやさしき心がけのあるものかな」と感心した。




557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 00:39:57 ID:fybBvaTR
>>556
本能寺の変の時には明智光秀が瀬田城城主の山岡景隆を味方にしようとしたけど
大恩ある亡き信長に対する忠義を貫いて瀬田橋を落として明智軍の足止めに成功してるんだけどな。
時には非情に徹することも必要だろうに…


559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 02:06:47 ID:0ww55kRt
宗茂は人柄の良さが幸いして大名に返り咲いてるからな。

565 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/18(土) 09:30:22 ID:svqbtMf5
瓢箪から駒ってことわざは戦国期にはすでにあったのかねぇ。
宗茂が橋を焼き落としたところで、西軍総大将の毛利が所領安堵と輝元の罪を問わないって言う家康の大嘘に騙されて大坂城を無血で譲り渡したんだから焼いても意味ないしな。
ひょっとしたら宗茂は毛利の腰砕けも予想できてたのかもしれんね。

569 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/18(土) 10:06:55 ID:VjQ+5NX5
>>565
宗茂が瀬田の橋を渡ったタイミングは、大津城の攻城戦直後。
つまり関ヶ原の合戦が終わって東軍が西進してくる、いわば
撤退戦の状況だよ?毛利の対応を知ったのはその後、大坂城
まで辿りついた時でしょ。
瀬田の橋のところで毛利家の対応を知っていたら、大阪城なんか
寄らずに一目散に瀬戸内から九州まで逃げ帰るでしょ、普通。
要は極限状態にあっても、近隣の者達の迷惑を考えて橋を焼かな
かった宗茂を、家康は評価したって話でしょう。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    いい人間なのかもしれないが、これでは天下は取れないな。

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