792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:04:22 ID:PnnGojQG
まとめスレを見ていたら載って居なかったのでカキコ
有名な話なのでみんなが避けてたのかも知れないが
1562年(永禄五年)四月、北条氏政はとある合戦に出陣し、
兵達の勇敢な声や昂揚振りでにぎわう陣内を家老の松田憲秀と
共に視察していた。そんなある時…氏政は北条鱗の軍旗がはためく
彼方に、地元の農民が田畑より麦を刈り入れている光景を見た。
北条氏政>>おぉ。農民が麦を刈り入れておるな!!。゚+.(゚∀゚*)。+.゚
松田憲秀>>左様でございますな。(゜、。 )ンナニメズラシイカ?
北条氏政>>よし!今日の昼飯はあれで決まりだな。刈り立ての麦だ、
きっと旨いに違いないぞ!! 。゚+.(゚∀゚*)。+.゚ワクテカ
松田憲秀>>…は。ゎ、若殿…?(゜、。;)ソレハヒョットシテジョークデ(ry
そしてこの話を聞いたのが御隣は甲斐国の戦国大名、甲斐の虎こと武田信玄。
その浅墓な様子を大いに酷評したという。
武田信玄>>(*>ヮ<) ははは、流石は北条氏政は大身の御家のおぼっちゃまだなァオイ!!
言うことが違うわ、そこに痺れんし憧れもせんが!!
麦っていうのは刈り取って直ぐに喰えるものではない。
刈り取ったあと扱いで、こなして、潤して、搗いて脱穀して、
天日に干して乾かして、また搗いて、水に浸してから煮る。
そこまで手間をかけて、ようやく喰えるものなのじゃからな。』
他にも、北条氏政の食に関するエピソードに橙とオレンジの話がある。
一時期同盟関係にあった徳川家康が、海外より渡来した南蛮人よりオレンジを
手に入れた。当時は蜜柑の品種改良が進んで居なかったため美味ではなく、
そもそも手に入れようにも紀伊でしか栽培法が確立していなかったため
大変な珍品である。もちろん、家康はこのオレンジを北条氏政にも贈った。
しかし北条氏政、これを受け取っても眉をひそめるばかり。
北条氏政>>…――なんじゃ、これは橙ではないか。こんな煮ても焼いても食えぬもの、
家康殿は何がめずらしゅうて贈ってきたのだ?。゚+.(゚皿゚#)。+.゚
松田憲秀>>…。(そこで考えるんだ、橙じゃないから贈って来たんだと。)(゜、。;)
なお、橙(だいだい)というのは正月を祝う鏡餅のてっぺんに乗っている蜜柑に
良く似たアレのことである。見てくれは蜜柑に似ているが酸味と苦味がひどく
食用には向かないが、『代々』に音が通じるため縁起物として扱われていた。
大坂冬の陣で遊郭に出かけて失態を犯した薄田兼相が『橙武者』と罵られたのは
『正月の鏡餅飾りにしか使えないような奴』という侮蔑に通じている。
そんな北条氏政の、(北条家五代で最大勢力を為した君主なのにろくな逸話しかない)悪い話。
796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:33:22 ID:hvB3zYXE
>>727
氏政は本当にいい逸話が無いんだよな
逸話自体少ないのに悪い逸話しかない
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:04:09 ID:38wPH0Rn
>>792
その逸話(麦の方)自分の持ってる本だと
筆者がフォローしてたw
相模は甲斐と違って豊かだから
ボンボンの氏政には麦は身近な食い物じゃなかったんだろう的なw
802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:55:33 ID:0Ags9n1x
>>798
豊かとかどうかって話でなく、単に創作だと思う。
中国の東晋の皇帝にほぼまんまな話があるし。
812 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/27(日) 05:35:32 ID:yW2+a2t1
>>792
芝の覇王の家だと、芳情過信^h^h^h^h北条家臣もそう思ったようにかかれてて、
駿河では橙が珍しそうだから、相模からも送るということやらかして、
ますます老廃国との印象をだしてたな
831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 12:22:06 ID:PLclCwD4
>>812
司馬さんは徳川にも厳しいけど
それ以上に東国の武士に関してはかなり厳しいよな……
基本的に東側の人間からすると時々納得いかん書き方の時あるわ
滅ぼされるべき旧勢力以上の見方はしてくれてないイメージ
氏政は北条贔屓倒しの小田原北条記ですら
歴代北条家当主の中で一人だけ呼び捨てだったり
武勇をアピールする逸話が全然なかったりするし
フォローは難しいのはわかるんだが……
まとめスレを見ていたら載って居なかったのでカキコ
有名な話なのでみんなが避けてたのかも知れないが
1562年(永禄五年)四月、北条氏政はとある合戦に出陣し、
兵達の勇敢な声や昂揚振りでにぎわう陣内を家老の松田憲秀と
共に視察していた。そんなある時…氏政は北条鱗の軍旗がはためく
彼方に、地元の農民が田畑より麦を刈り入れている光景を見た。
北条氏政>>おぉ。農民が麦を刈り入れておるな!!。゚+.(゚∀゚*)。+.゚
松田憲秀>>左様でございますな。(゜、。 )ンナニメズラシイカ?
北条氏政>>よし!今日の昼飯はあれで決まりだな。刈り立ての麦だ、
きっと旨いに違いないぞ!! 。゚+.(゚∀゚*)。+.゚ワクテカ
松田憲秀>>…は。ゎ、若殿…?(゜、。;)ソレハヒョットシテジョークデ(ry
そしてこの話を聞いたのが御隣は甲斐国の戦国大名、甲斐の虎こと武田信玄。
その浅墓な様子を大いに酷評したという。
武田信玄>>(*>ヮ<) ははは、流石は北条氏政は大身の御家のおぼっちゃまだなァオイ!!
言うことが違うわ、そこに痺れんし憧れもせんが!!
麦っていうのは刈り取って直ぐに喰えるものではない。
刈り取ったあと扱いで、こなして、潤して、搗いて脱穀して、
天日に干して乾かして、また搗いて、水に浸してから煮る。
そこまで手間をかけて、ようやく喰えるものなのじゃからな。』
他にも、北条氏政の食に関するエピソードに橙とオレンジの話がある。
一時期同盟関係にあった徳川家康が、海外より渡来した南蛮人よりオレンジを
手に入れた。当時は蜜柑の品種改良が進んで居なかったため美味ではなく、
そもそも手に入れようにも紀伊でしか栽培法が確立していなかったため
大変な珍品である。もちろん、家康はこのオレンジを北条氏政にも贈った。
しかし北条氏政、これを受け取っても眉をひそめるばかり。
北条氏政>>…――なんじゃ、これは橙ではないか。こんな煮ても焼いても食えぬもの、
家康殿は何がめずらしゅうて贈ってきたのだ?。゚+.(゚皿゚#)。+.゚
松田憲秀>>…。(そこで考えるんだ、橙じゃないから贈って来たんだと。)(゜、。;)
なお、橙(だいだい)というのは正月を祝う鏡餅のてっぺんに乗っている蜜柑に
良く似たアレのことである。見てくれは蜜柑に似ているが酸味と苦味がひどく
食用には向かないが、『代々』に音が通じるため縁起物として扱われていた。
大坂冬の陣で遊郭に出かけて失態を犯した薄田兼相が『橙武者』と罵られたのは
『正月の鏡餅飾りにしか使えないような奴』という侮蔑に通じている。
そんな北条氏政の、(北条家五代で最大勢力を為した君主なのにろくな逸話しかない)悪い話。
796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 22:33:22 ID:hvB3zYXE
>>727
氏政は本当にいい逸話が無いんだよな
逸話自体少ないのに悪い逸話しかない
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 23:04:09 ID:38wPH0Rn
>>792
その逸話(麦の方)自分の持ってる本だと
筆者がフォローしてたw
相模は甲斐と違って豊かだから
ボンボンの氏政には麦は身近な食い物じゃなかったんだろう的なw
802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 00:55:33 ID:0Ags9n1x
>>798
豊かとかどうかって話でなく、単に創作だと思う。
中国の東晋の皇帝にほぼまんまな話があるし。
812 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/27(日) 05:35:32 ID:yW2+a2t1
>>792
芝の覇王の家だと、芳情過信^h^h^h^h北条家臣もそう思ったようにかかれてて、
駿河では橙が珍しそうだから、相模からも送るということやらかして、
ますます老廃国との印象をだしてたな
831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/27(日) 12:22:06 ID:PLclCwD4
>>812
司馬さんは徳川にも厳しいけど
それ以上に東国の武士に関してはかなり厳しいよな……
基本的に東側の人間からすると時々納得いかん書き方の時あるわ
滅ぼされるべき旧勢力以上の見方はしてくれてないイメージ
氏政は北条贔屓倒しの小田原北条記ですら
歴代北条家当主の中で一人だけ呼び捨てだったり
武勇をアピールする逸話が全然なかったりするし
フォローは難しいのはわかるんだが……
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コメント
人間七七四年 | URL | -
司馬さんは何書いてもそんな感じだなw
単純な勧善懲悪物にはしないけど、一方的な見方で人物評しちゃったり
( 2009年09月28日 06:45 )
人間七七四年 | URL | -
,. '"´ ̄ ̄ ̄``ヽ、
./.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\
/.:.:.:.:;、;、;、;、;、;、;、;、;、;、;、:.:.:.ヽ 、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_ノヽ、_
イ.:.::.l´ 三 ミ ー 彡 三 ヽ:.:.:ト )
ミ.:./ ‐-ニ、 `二´ , ニ-‐ l:.:.ミ く | ノー─‐ i , ___ヽヽ _j_ 「7「7
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.kレ ` ̄ ,ィ k  ̄´ 、り )
/≧ー≦\ | `ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ,/´ヽ
{l、 { rイ元云元ヘ, } リ
\ 〈匕ニ二二ニ斗〉 /
_, -‐ 个‐ ニ二_二ニ ‐个 ‐- 、_
´ \〃 氏政 ヽ/
( 2009年09月28日 10:38 )
人間七七四年 | URL | -
一応最大領土獲得したいい当主なのに氏政かわいそうです(´;ω;`)ブワッ
( 2009年09月28日 10:57 )
人間七七四年 | URL | -
最大領土獲得したからっていい評価下す理由にはならないだろ。
たとえば氏康と氏政が逆だったら、普通に考えれば氏康が最大領土を築いていただろう。
それに最盛期、最大領土って言うのは(没後の混乱もあるが)その人の在世中に衰えたり領土が減ったりってことだ。唐玄宗とか武田勝頼とか。
( 2009年09月28日 15:18 )
人間七七四年 | URL | -
氏政が暗愚ではないにしろ、
凡庸だったのは間違いない気がする。
仮に氏政が三代目当主だったとしたら、
河越城の戦いであっさり敗北して滅んでたんじゃない?
( 2009年09月28日 15:45 )
人間七七四年 | URL | -
氏政がどうのこうのより北條家自体が完成されていたからな。
もちろん、それを維持できた氏政の実力があってのことだけど。
仮に凡庸だったなら廃嫡されて氏照が後継いでいたろうし。
小田原の陣に関しても氏政は上洛の準備を進めてたらしいけど、
そもそもあれだけの大国をそのまま残すわけが無いのでどうにもできなかったと思う。
大石、藤田を独立させて本家は相模・伊豆2国で我慢すれば生き残れたかもしれないけど・・・・。
支配歴の浅い島津とは立場が違いすぎるので到底飲めないだろうし。
そういう意味ではTERUは良い具合に凡庸だったんだろうね。
少なくとも家は残したんだし。
( 2009年09月28日 17:49 )
| URL | -
氏政はそこまで馬鹿じゃない
低く見積もっても普通レベルだから
地元の旧主(Y名とか)に手厳しい司馬氏
( 2009年09月29日 17:39 )
人間七七四年 | URL | bxvF113M
司馬遼太郎氏は既存の物に対して、
より精密で穿った見方や書き方を行い、そこが非常に優れているんだけど、
どうも既存の見方の枠を越えなさすぎるというか、疑ってかかるという事に乏しい気がする
( 2009年10月12日 07:03 [Edit] )
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