FC2ブログ

尼子経久と、逐電した山中勘充

2009年09月30日 00:04

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 02:22:37 ID:oJz6llJE
主君、京極政経により出雲守護代職を剥奪、追放された尼子経久が、
その居城月山冨田城を回復、ようやく没落から立ち直った頃のこと。

冨田城の主に戻ったといえども、出雲には経久に敵対するものたちが多く存在していた。
特に国人の三沢氏は強大であり、経久としては自分の身の安定のため、何としても
これを屈服させねばならなかった。が、まともに立ち向かうには、尼子はまだ微弱である。
経久は家臣、山中勘充を呼んだ。

さて、それから間もなくの事、山中は富田城下において同僚と口論を起こし、怒りのあまり
その同僚を切り殺し、逐電してしまった。
その後しばらくして山中は、経久と敵対する三沢越中守の城下に現れ、
つてを使って三沢家への仕官を求めた。
が、三沢家では、敵対する尼子の元の家臣を抱えることに消極的であった。

そのうち尼子のほうから、こんな噂が流れてきた。
尼子経久が山中勘充の罪を怒り、山中の老母と妻を捕らえ監禁、さらに山中の居場所を
自白させるため、毎日拷問にかけている、と言うのである。

これを聞いた山中は、三沢越中守の前に現れ、涙を流して訴えた。
「尼子の所業は鬼畜と言うべきです!
喧嘩口論の末に相手を斬る事など、武士の意地を通すためありがちなことでしょう。
なのに、その罪を母や妻にまで及ぼすとは、残酷非道と言うより他ありません!
どうか私を、三沢家にお仕えさせてください。お家の力を借りて、何としても尼子に
復讐をしたいのです!」

三沢家でもひそかに調べたが、山中の母と妻が捕らえられ、拷問にかけられていること、
確かであった。
そこで、三沢家は山中勘充を召し抱えることにした。山中は心から三沢家への忠勤を誓い、
1年の間、ひたすら忠実に働いた。流石に三沢家も山中を信頼した頃、彼は三沢家にこう、
嘆願した。

「私がかねてより望んでいた尼子への復讐を、いよいよ決行したいと思います。どうか私に
300ほどの兵をお貸しください。富田城の中にいる協力者と共に、母や妻子を助け出し、
経久を殺し、あの城を乗っ取る所存です。
これに成功いたしましたらm月山冨田城は、三沢家の属城となるでしょう。」

三沢家ではこれに、山中の頼みよりも多い500人をつけた。しかも選りすぐりの精鋭ばかりを
集めたものであった。
山中はこの兵を率い、ある星も無い夜、密かに富田城へと近づいた。
そして「城内の同士と連絡を取る」と、一人その部隊を離れる。そしてそのまま、いつまでたっても
山中は帰ってこなかった。

勿論、罠である。

山中が斬った同僚は、実は死刑囚であり、母、妻の捕縛と拷問も、無論演技である。
そして山中の精鋭500は、今完全に、尼子方に包囲されていた。

尼孤軍は三沢の派遣軍を八方から攻めこれを壊走させると、その勢いのまま三沢領に攻め寄せ、
これを屈服させることに成功。さらに他の敵対勢力をも討ち下し、ついに出雲を平定した。

尼子経久が、大勢力への飛躍の一歩を踏み出した、謀略のお話。




919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/29(火) 07:49:47 ID:7Jti8b2P
>>915
尼子経久は手元に引き寄せてから潰した後そのまま攻め落とし、
宇喜多直家はそのまま主を暗殺させる

埋伏の毒は中国地方の伝統芸なのか?w


スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >喧嘩口論の末に相手を斬る事など、武士の意地を通すためありがちなことでしょう。

    ネーヨwww
    と笑い飛ばしたいが、ホントに割とよくあるから困る

  2. 人間七七四年 | URL | -

    現代でもあるから困る

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/2902-14180ce4
この記事へのトラックバック