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讃岐京極家とニッカリ青江

2009年10月08日 00:18

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 11:04:11 ID:hjC9vi2O
ファンタジー方面から不思議な名刀のお話

讃岐京極家にはこんな狂歌が残る。

京極に過ぎたるものが三つある ニッカリ茶壺と多賀越中

多賀越中とは佐々木京極氏が近江にある頃から仕えた重臣で、
代々多賀越中某と名乗り、江戸時代は家老職を務めた。

茶壺とは京極家と関係の深かった野々村仁成作の茶壺で、
京極家所蔵だった茶壺の中には重文、国宝指定されているものもある。

最後の一つであるニッカリ青江は備中青江貞次作。現在は丸亀市立美術館所蔵。
このニッカリという名前には逸話がある。

近江蒲生郡のとある領主・中島修理大夫は、
領内に物の怪が出ると聞き退治することにした。
た。
その夜分、子を抱いた女が現れた。
女は子を下ろし、ニッカリと笑いながら「殿様に抱いてもらえ」と言うと、
その子が修理太夫に向かってきた。気味の悪さを感じた
修理太夫は、にわかに首を刎ねた。
すると女も「私も抱いて」と迫ってきたので、これも首を刎ねた。
翌朝、その場所に行くと、石塔が斬られて落ちていた。

このことで、斬った化物の顔から
ニッカリ青江と呼ばれるようになった。
また、慶長7年(1602)、完成した讃岐丸亀城において、
築城を担当した大工が些細なことで死罪となった。
その後、大工の祟りで、この地を領する大名・生駒家は
減封の上、僻地に飛ばされ、代わりに入ってきた
山崎家も断絶した。
そしてやって来た京極家は家宝「ニッカリ青江」のお陰で
祟りに遭わず、明治維新まで大名として存続した。

そんな魔除けの名刀のお話。


参考
浅野長政の家臣と「ニッカリ青江」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7063.html


176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 11:12:18 ID:uj6riz2x
ちょっと宇土に行ってくる。

百段で。

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 11:14:54 ID:uj6riz2x
って書いてる間に新ネタが!>>175ゴメン。
ついでに丸亀にも行ってくるわ。蜻蛉斬り持って。
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