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姉川合戦での榊原康政、小田原攻めでの榊原康政

2009年10月20日 00:08

733 名前:sage[] 投稿日:2009/10/19(月) 18:23:18 ID:8fzS1rTj
三河武士の話で質問なんだが、wikipediaの榊原康政の人物の項で、
「とても命を大切にしていた」という一文があるけど、これは何かエピソードがあるのかい?
どなたかご存知なら教えていただきたい。




735 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 20:24:36 ID:S7aSGDaj
>>733貴殿のご希望に沿えるか分からんが

その一

姉川の合戦の際、徳川軍は先陣が酒井忠次、第二陣が榊原康政だった。
酒井隊は川を渡り敵に掛かろうとしたが、川の向こう岸は坂になっており登り難く、
敵の的になり始めた。

それを見た康政は、「それ、無二無三にでも押し上げよ!」と叫び、みずから真一文字に
馬を走らせ、岸を登りきってしまった。
榊原隊がそれに続くのを見た忠次は、「しゃっ!先陣が二陣に後れてなるか!」
と兵を鼓舞し、競って岸を駆け上がらせた。

戦後、家康は
「康政が二の手の仕方、以来の手本なり。二の手はかくの如くありたきものぞ。」
と、康政を称えた。



736 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 20:25:23 ID:S7aSGDaj
その二

小田原攻めの時、家康が自軍に通達した。
「火の用心を厳しくいたせ。もし出火せし時は、失火者は死罪に処すべきものなり。」

これを聞いた榊原康政は、家康に申し出た。
「このたびのご通達、出火した時はその陣屋の主人に切腹を仰せ付けくだされ。
生死を共にした譜代、その働き頼もしきご秘蔵の面々と言えども、出火の際はご通達に
従い、お許しあること、まかりなりません。
この小平太ごとき者も、後々何があるか分かりませぬが、お仕置きあれ!」
「・・・・・・・・・」

家康はただちに通達を取り止めたという。


連投の段、平にご容赦




737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/19(月) 21:51:09 ID:Dzza+yNV
小牧の戦で家康が負けて家が取り潰されてたら
康政は取り合いになったんだろうなあ。
秀吉の下に仕える康政というのも想像しがたいが

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