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平岩親吉と徳川家康の3人の息子

2009年10月26日 00:07

874 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/25(日) 20:53:38 ID:6KblIV6t
平岩親吉と徳川家康の3人の息子

平岩親吉は家康の人質時代から生死を共にしてきた忠実な家臣であった。
家康は、長男信康の教育係を選ぶとき、平岩親吉以外の人物しか考えなかったし、
親吉も、信康をよく補佐し、信康に数々の武勲を立てさせた。

しかし、信康は、1579年、信長の命があったかどうかは別として、
家康の命により自害。親吉も1年ほど謹慎し、のち復職した。

十数年後、家康に8男仙千代が生まれたとき、家康は、「そちにもう一度子を与える」
といって、仙千代を子供のいない親吉の養子とした。
これまでの子は跡取り(信康、秀忠)を除き、豊臣家、武田家、松平家分家など
そうそうたる家を継いでおり、名家とはいえ家臣の平岩家に養子に出すことは異例であった。
だが、仙千代は5歳で死去する。

1603年、家康の9男義直(仙千代の同母弟)が甲州25万石に封ぜられると、
親吉は幼少の義直の後見を任される。
慶長12年(1607年)、義直が尾張名古屋藩主に転ずると、
親吉は義直付の家老として尾張に移り、藩政を執行した。

1611年、親吉死去。跡取りのいない親吉は所領を義直に譲る遺言を残していたが、
家康はその昔、親吉との間に生まれたという噂のあった子を見つけ出し、
その子に平岩氏の所領を継がせようとした。
しかしその子の母が、この子は親吉の子供ではないと固辞したため、
結局、平岩氏は慶長16年(1611年)の親吉の死をもって断絶した。

子とも主君とも思ってきた信康の死に堪え、さらに2人の子を任された一人の男のお話。




875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/25(日) 21:03:38 ID:cCTQxg7m
今時の汚い相続紛争を見ると、昔の人、というよりこの侍の一族は偉い!
がたがたインチキやって家業続けても、いびつで醜い家族神話が
子孫に残るもの。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    教育係に「平岩親吉以外の人物しか考えなかった」って書き間違いにちがいないが気になっちゃうな

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