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菅六之助の形相

2009年11月06日 00:39

菅正利   
埋め代わりに又黒田話

慶長二年、再度の朝鮮出兵が行われ、九月七日、忠清道稜山において、明の派遣した
解生、楊登山、伯英らの軍と衝突。この時の事、
明軍の内より、弓馬の達者と思しき者、ただ一騎で日本軍に乗り寄せ矢を放ったものがいた。
これを見た黒田長政、家臣、菅六之助に「あの敵を討て」と命ずる。

この敵は六之助に向って矢を放ち、これが彼の口脇に当たったが、六之助これを事ともせず
馬を駆けつけすれ違い様、首の脇から乳の下まで袈裟懸けに斬り、見その首を取った。

ところが六之助、このとき受けた矢に、毒が仕込まれていた。
命に別状こそなかったものの、毒の影響で顔は赤く腫れ、傷口からは常に膿や血がにじみ出、
すさまじい形相であった。

そのためこの当時黒田の領内では、子供が泣き止まないとき、菅六之助の名前を言えば、
たちまち泣き止んだ、とのことである。


さて、六之助の口の脇から血や膿が流れる事、人々は汚らしいと思っていたが、
黒田如水、長政は全くそのように思わず、六之助が飲んだ盃や茶の後を進んで飲み、

「年若き者たちは、汚いと思おうが、彼にあやかるべきだ。」

と、言われたそうである。


…と、いい話なのですが、この手の話ももしかしてテンプレなのかな?と思ってしまったのでこっちに。




985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 16:42:30 ID:2PQFruK+
人気取りまで故事の猿真似とは片腹痛い殿じゃのお!

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 19:47:18 ID:CfVZSJuK
遠きは呉子、近きは石田・大谷と。

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 19:48:19 ID:g+otbKk0
菅六之助ったら関ヶ原黒田隊の鉄砲頭だっけ。 黒田家中のええ話やね。

しかし……
>984「又羽黒話」と誤読ししてしまった漏れは、、、どどどどうすればよぃであろう??

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 20:34:16 ID:witJ6kT3
>>984
テンプレかは知らんが菅六之助は朱具足に身を固めた家中でも指折りの勇士なので
そういうことがあってもおかしいとは思わない。
今でも菅家には菅六之助が一刀のもとに切り殺したという虎の骨の一部が伝わって
いるらしい。
菅六之助は武勇だけでなく才知のある知勇兼備の人物で、黒田長政は彼を大変
頼りにして老職として家康にもお目見えさせたいと考えていたが、顔の傷が見苦しい
ということで結局実現しなかったらしい。
家康にはかたわになった福島の三家老を称賛したという逸話もあるし大丈夫だった
と思うけどね。
残念で悪い話になってしまうわけだが、長政の六之助への信頼はこれで翳るものでは
なく、彼を老職並みに遇し、家臣達への書状の宛名には歴々の年寄とともに六之助の
名前が並んでいる。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    如水・長政「なあに、かえって免疫力がつく」

  2. 人間七七四年 | URL | 3/VKSDZ2

    鎖鎌だっけ?そんなんをぶん回す騎馬と誰かが闘った逸話もあったよな
    その逸話に出てくるのもたった一騎だった

    明軍の勇猛なヤツが一騎で突っ込んでくるというのは逸話でよくあるパターンなのか?
    それともこういうのは明軍に限らないのだろうか

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