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島津義弘、加治木の城下のお祭りで

2009年11月08日 00:12

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/07(土) 21:36:10 ID:b7VJhgcZ
では義弘の話をもう一つ。

義弘が隠居後に近習と出掛けたとき、加治木の城下ではお祭りをしていた。
義弘の父、貴久に由来する鈴懸祭りという大層賑やかなお祭りである。

お殿様のお出掛けと聞いて、町の者達は一旦踊りや囃子を止めてお通ししようとしたが
義弘は「よいよい、そのまま続けよ」と町人達の踊りの中を馬で通り過ぎようとした。
だが、先導の者の馬が太鼓の音にビクついたのか前に進もうとしない。

これを見た義弘は苦笑して「先導のものは若輩ゆえ馬の扱いに馴れて居るまい。
誰か手本を見せてやれ」
左右を省みて年配の者達に先導を代わるよう命じた。
ところが年配の者達も馬を思うように扱えず、どうしても踊りの中を通る事が出来ない。
誰一人として馬を満足に扱えないのを見かねた義弘、ついに
「もう良い!わしがやる!」と言い出した。

これには近習たちも驚き「殿ももはや80近く。そのお年ではどんな怪我をするか分かりません。
どうかお止めください。」
と懇願したが「そこで見ておれ、わしが手本を見せてやる!」と言うが早いか先導の馬に乗り、
まるで無人の野を行くが如く踊りの中を通り過ぎてしまった。

これには町人も拍手喝采、近習たちも自分の主君に対する尊敬の念を新たにした。
だが義弘はこのことを誇るでもなく
「敵味方が喚きあい、矢唸りに鉄砲が鳴り響く戦場を往来するは武士として当然のことである。
 『治において乱を忘れず』じゃ。お前達も常々馬術や武芸の稽古に励むように」
と訓戒した。

このとき以降、加治木では馬術を競い合う「馬責め祭り」なる行事が行われるようになったとか。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/07(土) 22:37:33 ID:VA4mkiHs
立花宗茂も島原の乱の時に、
今時の武士は平和ボケになってるみたいなこと言ってるから、
戦国を知る歴戦の猛者から見たら、
江戸初期の武士はたるんでるように見えたのかな

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/07(土) 22:46:30 ID:y3lSEvBj
「責め祭り」だけ見てカナマラ祭みたいなのを妄想した俺を誰か責めてくれ…

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/07(土) 23:36:02 ID:tcx4268f
>>183
貴殿には馬より△木馬が相応しいようじゃのう

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コメント

  1. 人生七十四年 | URL | -

    葉隠にも、最近の武士は軟弱で、都会の流行に流されてばっかだとかかれてたな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    最近の若者は~ってのは縄文時代からあったというし。

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