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吉川広家の言い分

2009年11月09日 00:08

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 14:10:36 ID:01dUalmp
関ヶ原の合戦の後、西軍が敗北したのは、或いは小早川秀秋の裏切りのため、
或いは吉川広家、福原広俊が動かなかったため、と、その頃の人々は言い合った。

吉川広家はこれを聞いて、その日の事について語った事があったそうだ。
それに曰く

「あの時は前日の時点で、誓紙血判し、人質を出し合って内通を固めておいた。
だから我等は当然兵を出すわけも無いし、兵を出すのを要求してきた長束正家や
安国寺恵瓊と言った連中をあれこれいなして、時間を稼いだものさ。

それに、例え我々が石田や宇喜田と一味していたとしても、あの9月15日の朝は
霧が深く、15,6間(約10メートル)先すら見えない有様だった。
そんな状況の中、南宮山の麓には2万ほどの押さえの軍勢が合った。
これを排除して、さらに4,50町(約5キロ)も離れている関ヶ原に駆けつけて
戦闘するなんて、そんな事が出来るわけが無い。

ただし、長束や安国寺が、どうしても西軍と共に戦いたかったのなら、我々に相談せずに
関ヶ原に行けばよかったんだよ。
長束なんて、その前の伊勢安濃津城攻めの時は、評議で8月14日に城際まで近づき、
15日に士寄をつけて、16日に攻め入ろうと決めたのに、
それを無視して誰にも相談なしに、自分一人の判断で勝手に町口に攻めかけた事、
これは誰も知っていることだ。

それを、9月15日の合戦に限って、『あの時は我らが動かなかったから西軍に合力出来なかった』
などと言うのは、片腹痛い話だ。

まあ、そういう浮説は、あの時の我々の事情もそれまでの過程も、知らない人間達が
言っている事さ。」

一方的な批判を受けがちな関ヶ原での吉川広家の、数少ない反論である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    言い訳とはまた、見苦しい

  2. 人間七七四年 | URL | -

    うーんまあ前後の文脈も無しにここだけ見せられたら
    そう感じるわな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    反論としては最初の三行だけで充分じゃないか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    だよなあ、長束や暗黒痔からしてみれば、だからお前が前塞いでるんだろだし
    迂闊に前にでようとしたらなにされるかわからし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    汚いところを引き受けた小早川と吉川ばかりが割を食うのは、フェアじゃないとは思うけどね

  6. 人間七七四年 | URL | -

    これは確か世論に対して広家が語った話ではなくて
    広家が輝元に対しての書状で述べた内容だった気がする

  7. 人間七七四年 | URL | Aszvn8R.

    独断で内通した事が後世批判の対象になってるけど
    かと言って相談したらどうかなるってもんでも無いと思うんだよね

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >一方的な批判を受けがちな関ヶ原での吉川広家の、数少ない反論である。

    数少ないかな?吉川史料館に行ったとき、巻くとバケツかと思うほど長い弁解状を見た。頭の良さを感じさせる論理性のある文章で「俺だけじゃない」「俺の行動は大して影響ない」などなど論を尽くして延々と自己弁護するカッコ悪い文書だった。

    >※7殿
    で、その弁解状の言い訳の一つにこんなのが、
    「俺、徳川方と交渉してると一回報告したよね」
    そう、対徳川交渉は広家の独断ではないのです。少なくともTERUは知っていました。
    一方で各地に軍を進めるT毛利家。TERUの家中統率がなってないのか、勢力拡大したところで徳川と和議を図る気だったのか…やっぱり前者?

  9. 名無し春香さん | URL | -

    所詮、裏切り者の屑野郎だもの。
    それで、本家を取りつぶしの危機に陥れてるんだから、度し難い。
    ちゃんと、本家に断って動いてない以上、こいつに正当性はどこにもない。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    小早川が東軍であるなら吉川が動いていても結果は変わらなかったのでは

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