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太田但馬守長知の謀殺

2009年11月09日 00:09

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 12:51:28 ID:UPXZF7aI
有名だがまとめスレに無いようなので。

慶長7年5月、金沢城内本丸御殿にて、加賀前田家筆頭家老太田但馬守長知は、
主命により家老横山大膳長知らによって誅殺された。
太田但馬は数多の戦場を経た剛の者であったから、斬りかかった家臣数名が
切り殺され絶命、大怪我、抵横山大膳も危うく突き殺される寸前であった。

藩主前田利長の命であった。
利長の愛妾との密通を犯したとの咎による、とされた。
後日愛妾おいま他数名は、眼をえぐり取られ斬首という残虐な処刑が
百名を超す家臣らの前で執行された。

前田利長、父利家のばさらな気質とは異なり、ひどく慎重で己の心持を
滅多なことでは人に明かさない男であった。
親戚でもあり、関ヶ原の折も、大聖寺城、浅井畷の功は抜群であり、
家中の最重要人物でもある太田但馬を討った理由は、様々な憶測から
悪狐の憑依なる伝説までも生んだ。

愛妾を寝とられた恨みというものが、一般的である。
男ぶりの良い太田但馬を、愛妾らが憧れ夢見る如く見つめる様子を、
利長が憎く思っていた、或いは己の功を鼻にかけ増長する太田但馬を
誅するに至った、ともいう。

が、家康を嫌う太田但馬が、かねがね豊臣から徳川家に傾こうとする
利長の政治手法にことごとく異を唱え、家康への恭順の意を示すための
生贄にこそ太田但馬が最適であった、というのが真相ではなかろうか。


参考
太田但馬守長知謀殺の内容
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6857.html


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    以前に出てた利常の蛇攻めと言い、今回の「目を抉り取った上で斬首」と言い…
    信長や家康の竹鋸引きも大概だけど、それとは何か、どこか違う残酷さを感じたなぁ。何が違う?て言われても説明できないけど。
    こういう残酷な刑って、戦国期やその遺風の残る時代の為せる業なんだろうか?
    それとも時代や風潮に関わりなく、単純に命じる側の個人的な性質に依るモノなんだろうか。

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