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足利将軍の近臣・進士家の話

2009年11月09日 00:10

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 02:02:47 ID:WoDzLfn7
足利将軍の近臣・進士家の話

天文20年3月、伊勢貞孝邸宅に三好長慶が招かれた時のこと。
どこからか刺客が紛れ込んでおり、歓待を受けていた長慶に斬り掛かってきた。
長慶は2太刀斬りつけられ負傷したが、その刺客は直ちに取り押さえられて
拷問にかけられた。すると、その刺客の正体は幕府奉公衆・進士美作晴舎の
甥・九郎賢光であり、将軍の命で長慶暗殺を試みていたことが判明。
賢光は直ちに処刑された。

それから十数年のこと。松永久秀父子や三好三人衆が将軍を襲撃したときのこと。
三人衆はまず訴えるべきことがあると称して訴状を出したが、このときに
取り次いだのが賢光の叔父・進士美作でしたが、この内容をみた美作は激怒し、
直ちに自害。当然この訴状は兵士をなだれ込ませる方便に過ぎなかったわけで、
三好勢が攻め込んでくると、進士美作の子息は幕臣として戦うべく討ってでた。

・・・ところまでは良かったがフロイス『日本史』によると、最初の敵と戦おうとしたところ、
いきなり進士美作の子息は殺されてしまったそうな。将軍義輝はもとより、摂津糸千代丸など
年少の者についても、立派な最期を遂げた話があるわけで、どうもパッとしない。
それにしても、賢光といい、美作父子といい、肝心なところでサッパリ役に立たない感があるのは
気のせいでしょうか?




75 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/08(日) 08:54:09 ID:OYFCW2lj
鬼がいなかったッス
だから室町幕府は滅びたッス
一家に一匹はいないと戦乱の世は乗り切れないッス

76 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/08(日) 09:48:32 ID:YQaOk6bN
信虎さまが将軍家にたまたま居候していれば…つか肖像画からして怖いし。

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 11:44:58 ID:vPPfrzvH
ああ、あのチソチソ頭の肖像画

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/08(日) 12:52:25 ID:XUdFjP8i
>>75
義輝さん本人が鬼(ry

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    だって鎧も着てないし、相手は弓・鉄砲まであるし

  2. ツヨシ | URL | lPgPSiKk

    明智光秀は進士氏だ

    新しい学説です。
    「明智光秀は進士氏」の経緯 織田信長が美濃で基盤作りの為に、室町幕府奉公衆の進士晴舎の長男である進士藤延に美濃の名族である明智氏(明智光秀)を名乗らせたのが真実だ。 室町幕府奉公衆の明智氏は当時、内紛によって菅沼氏と妻木氏に別れて明智氏は既に滅亡していた。 進士藤延は母方の妻木氏の前の本姓である明智氏を名乗り美濃の勢力を基盤に織田信長の信頼を得る事に成功したのだ。 進士氏は鎌倉幕府の頃より続く名門であり室町幕府の諸作法を伝える包丁式で有名な進士流の一族である。 室町幕府奉公衆の明智氏の代わりに進士氏の出身ならば充分な家柄だった筈だ。 実際に朝廷との交渉や公式な儀式は明智光秀が取り仕切り高く評価されている。 幕府直属でない織田の家臣とは当然に要求される職務が異質であったのは明白で歴史考察したならば明智光秀が進士藤延である事は自然な事だと思われる。
    小林正信氏の学説です。
    今後にの研究に期待大です。

  3. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    妻木も菅沼も明智から別れたわけじゃないと思ったけど?
    それに進士って色々な氏族から名乗った人物が出ているみたいだけど、鎌倉の御家人と室町の包丁進士氏って同族なのかな?

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