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中津海次兵衛伝説

2009年11月14日 00:19

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/13(金) 15:11:58 ID:UYTLGV5/
中津海次兵衛伝説

細川忠興の家来に、中津海次兵衛と言う者が居た。
この男、元は若狭国大飯郡中津海村の農夫であったが、走力、軽業共に人の及ばぬ技の
持ち主だったため、忠興が扶持したのだという。

さてある時のこと、忠興が宮津城において猿楽(能)を興行することがあった、が、
その当日になって、脇能高砂につかう箕が無いことがわかった。
この能の担当者たちは大変驚き、

「あの箕はたしか田辺城にあった。しかしここから田辺城までは五里(約20キロ)も
離れている。取りに行っても演目の時間には間に合わない。一体どうすれば…」

と、ひとしきり絶望に襲われている中、そこに颯爽と中津海次兵衛が!

「俺に任せろ!」

その場より次兵衛、駆け出した!
「いくら足が速くても、間に合うわけ無いのに…」残った者達、半ば呆れてその姿を見送った。
が、次兵衛、なんと一時(約2時間)ほどで箕を取って帰ってきた!往復40キロを2時間、
現代でも堂々のマラソン世界記録クラスである。

この時次兵衛が帰ってくるのが余りに早いので、人々、これを大いに怪しんだ。
そこでどうしてそんなに早く取ってこれたのかと尋ねると

「なに、ただ走ったのではない。わしは常に槍を持ち、走りながらその柄を地面に突いて
7,8間(12~15メートル)を飛び越えながら行ったのだ。だから早かったのさ」

棒高飛びならぬ棒幅跳びである。これが次兵衛のスピードの秘密であった。
だがそれでピョンピョン飛びながら超スピードで移動するのも逆に猛烈な変態だと
思うのだが、それはまあ置いておこう。

次兵衛の活躍により能の興行は無事、滞りなく行われたのだが、一つ、大きな問題を残した。
それは箕を取りに行った先の田辺城。
この頃、田辺城の内堀は8間ほどの幅だったのだが、箕を取りに来た次兵衛が、面倒だとばかり
これを飛び越えてしまったのだ。

「次兵衛に飛び越えられるという事は、他にも飛び越えられる人間が居るかもしれない!
防衛上心もとない!」

そんな変態はそうそう居ないと思うのだが、ともかく田辺城では緊急に工事をし、
内堀を10間に広げた、とのことである。

城の縄張りにまで影響を与えた、中津海次兵衛の早足、のお話。




138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/13(金) 15:53:18 ID:vMH1CNOq
つお馬さん

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/13(金) 15:54:42 ID:VhZ1ME/+
これはこれで変た…もとい超人が殿様を救ったいい話だと思うのだがw

こんな人が有名じゃないってことは関ヶ原後の
小倉転封にはついて行かなかったんだろか?

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