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鍋島助右衛門の娘の駆け落ち

2009年11月19日 00:06

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/17(火) 23:49:50 ID:WTFqT5/y
鍋島直茂の甥、鍋島助右衛門の娘が「近所の寺に説法を聞きに行く」と言って出かけたまま
行方が分からなくなった。良く調べたところ、同家の若党も一人、姿をくらましていた。
駆け落ちである。

八方手を尽くして探した結果、娘はどういう訳か肥後加藤家の家老に妾として養われている
ことが判明した。さっそく加藤家に使者を送り、娘の返還を求めたが断られたため、重臣の
成富茂安が直接清正と交渉に当たった。
「主計頭様、かの娘をお引渡し下され。」
「当家の者を頼っている女人を渡すこと、武士の一分として罷りならぬ。」
「朝鮮の陣の時、主計頭様の苦境を拙者がお救いしたことがございましたな。」
「・・・うむ。」
「その際、主計頭様は『この礼に、お主の望みは何でも叶えよう』と仰せになりました。
ならば娘の身柄を礼としていただきましょう。まさか、出来ぬとは申しますまいな?」
「ならば仕方無い、娘は渡そう。だが、処刑などしてくれるなよ?」「・・・お言葉、承った。」

佐賀に戻った娘は、“自害”した。

さて、娘の親族である助右衛門親子も切腹と決まり、その命を伝えに使者が助右衛門邸を
訪れると、助右衛門は碁を打っていた。
「お達し、ごもっとも。まずは、碁でもご覧下され。」助右衛門は切腹の支度が整うまで碁を
打ったが、そこへ邸内にいた助右衛門の家臣十八名が「お供仕る。」と殉死を願い出た。

使者が「いや、それは・・・」と判断に迷っていると、助右衛門の息子、織部が庭に出て
「思い切ったる者どもだのう!どれ、オレが介錯してやろう!」と言って十八名全員の首を
はねた後、親子して腹を切った。
このため、助右衛門邸近くの川が赤く染まり、当時「血川」と呼ばれたという。

事件の後、直茂は「できる者がおらんで、事を欠いたわい。」と言った。
家臣の誰も娘を逃がしたり、助右衛門の助命嘆願をしなかった事への皮肉だろうか。




262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/17(火) 23:53:14 ID:2CXzq1MA
どうにもこうにも、葉隠の家ですなあ。


263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:17:29 ID:ivetgnbL
>>261
よってたかって臭いものにフタをした感じだな
鍋島さんちだからかもしれんが武士もある面メンツ商売なんだなあ

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