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小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴

2009年11月20日 00:22

326 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:30:16 ID:Y60o4/wH
余計なもの書いた感もあるが、時間掛けてしまったので投下させて下され。

『小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴』
wikipediaで『名君』と書かれても問題無いほどの、名君・小田政治の跡を継いだ
氏治だが、先に投下された様に連戦連敗。
軍神・上杉謙信の襲来や、鬼義重こと佐竹義重が登場と、随分積んだ状況になって
いたが、家臣と領民の助けによりなかなか滅びない。
小田の所領は、それほど小さくなかった。

常陸=佐竹のイメージを付けられているが、政治全盛期では佐竹に継ぐほど
(超すほどかは不明)の所領を持っていた。
正確な石高の対比などの資料が手元に無いが、大雑把に言って、佐竹領は常陸東北、
小田領は南西といった所で、佐竹領と言われがちな中央、水戸の周辺は江戸氏(佐竹には
臣従しきっていない)が、他の常陸各地では大掾氏の一族が広く分布していた。後に佐竹
にて謀殺される鹿島三十三館(霞ヶ浦・北浦の隣)もこの大掾氏で、バリバリの現役。
※一部の真壁氏幹らの様に、早くに佐竹へ臣従した大掾氏もおり、必ずしも大掾氏が
一族団結して勢力を張っていた訳では無い。

取りあえず小田領は、氏治が継いだ頃はそこそこ広く、居城は小田城だけど、持ってる
城は土浦以外にも結構あったという事を軽く覚えておきつつ、以下を御読み下さいな。


勢力説明はこの辺で、氏治様の鮮やかすぎる戦歴へ(長いよ)

1556年 北条・古河公方・結城以下諸氏に攻められる。
    氏治救援に行く→負け。海老名城を取られる。
    おまけで小田城も取られ、土浦城に逃げる。
    氏治体勢を立て直し、小田城奪還。次いで海老名城も奪還し、旧領回復。
    →が、城以外の失地は回復不足。
1557年 氏治、多賀谷氏の下妻城攻め→佐竹援軍により大敗。土浦城へ。
1558年 長尾(景虎時代)・佐竹・多賀谷氏に攻められる。
    小田城→3~4回攻められ、氏治も3~4回土浦城へ。
1559年 土浦城主・菅谷政貞により小田城を奪還してもらう。
    氏治も旧領奪還の為、結城城を攻める→落とせず撤退
    →氏治の撤退に乗じて、北條城,海老名城がそれぞれ結城・佐竹に奪われる。
    また、他家(小高氏)の内紛に加勢してたら、
    大掾氏に所領を攻められて、どっか2城ほど落城してたでござるの巻。
    →加勢しに行った自分も、退陣中を追撃されて敗北したでござるの巻。
     →色々ともう無理なので、長尾景虎に降参するでござるの巻。
1560年 (和睦した)佐竹らと結城攻め。古河公方の調停で海老名城が小田へ返却に。
1561年 長尾景虎の小田原攻めに、関東諸侯と共に参加。特に何も無く無事帰還。
1563年 長尾景虎との約束破って北条に付く。
1564年 軍神襲来警報につき、海老名城落城。
    小田勢・信田頼範、岩槻(茨城の?)坂戸城を落とすがすぐ取り返される。
    氏治、山王堂で上杉・佐竹・宇都宮と戦う→負け。
    →小田城捨て、藤沢城捨て、また土浦城へ逃げ延びる。
    一時、小田城を奪還するも佐竹の攻撃にまたry。領地を30余ヵ所程奪われる。
1565年 佐竹当主・義昭死去。それに乗じ小田城を夜襲し奪還。更に木田余城も奪還。
    →…しかし、佐竹を継いだのは鬼・義重。
     →そして、この報を聞いた上杉謙信は大変怒り、本気になってしまった。
      →ここからが本当の地獄だぜ。

327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:31:55 ID:Y60o4/wH
続き。

1567年 佐竹と上杉、鬼と軍神による小田城総攻撃始まる。
   (>>265,297とかなり被ってきてるので、以下は城・所領の動きのみ)
    小田城落城。片野城、柿岡城も策略?により佐竹側へ。
1568年 上杉謙信への降伏により小田城・海老名城返還?
1569年 海老名城が佐竹に降伏。小田城は落城せず→だが、城下・近隣は火の海に。
    手這坂の戦いにより、佐竹の柿岡城は落ちずに、小田方の小田城が落城。
1570年 佐竹、筑波の小田領を占領。
1572年 小田城奪還
1573年 >>297の新年祝いにより小田城落城。が、その後1月20日までに小田が奪還し、
    4月11日までに再び佐竹に奪われるという異次元の動きを見せる。
    その後、小田方の戸崎城降伏→甲山城は放棄→藤沢城落城
1574年 佐竹により土浦城,宍倉城落城。戸崎城も降伏。
    が、>>266の菅谷範政により土浦城が氏治の手に戻る。
1577年 氏治、手子生城を奪還。所領も一部回復。
1578年 佐竹により、木田余城落城。小田方が一時取り返すも、いつも通りまた落城。
1583~89年 氏治、佐竹に臣従するが、勝手に旧領奪還の軍を起こしたりDQNぷり。
      この頃、我等が愛するDQN政宗が常陸に手を伸ばし初めており、
      義重もいつまでも氏治にかまっていられなくなる。
      →氏治に関する苦情・相談は、太田・梶原までお願いします。
1590年 太田資正らの強固なガードにより小田城落城せず。
    →小田原征伐終了につきゲームオーバー。『氏治 ~そして改易へ~』

以前調べた記憶じゃ自信がなかったので、こちら↓のサイトを見せて頂きながら書きましたよ。
ttp://www.rekishi.sagami.in/tukuba.html

おまけ:氏治様における、自分と友人の基本認識。

氏治「菅えもんー助けてよー、ジャイアンに小田城取られちゃったよー」
菅谷以下家臣団「仕方ないなあ、氏治様は」
領民「放っとけないもの」




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 19:47:17 ID:Z1P9KXhY
小田政治「こんなときどんな顔すればいいか分からないの」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:07:16 ID:rZFwAdi9
菅谷さんらの忠臣っぷりは頭が下がるなあ。 氏治さんの戦下手っぷりにも頭が下がるが。

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:09:38 ID:fXGy/8Qp
こういう、ちょっと間の抜けた、だからこそ人間臭い武将は大好きだw

331 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 20:15:24 ID:Y60o4/wH
余談ですが。

氏治様がこれほどまでに拘った小田城は、平成12年から復元計画に基づいて
復元がされており、10年後には復元工事終了予定だそうです。
(現小田城跡のパンプレットより)
wikiだと平成26年までの予定になっていましたが。

少し前に現地には行った事があり、
今の状態でも、かなり発掘されているのを見ているので、今後が楽しみだったり。

なお、小田城跡から土浦方面に少し行った所に、藤沢という地名(藤沢城のあった場所)
があり、そこの法雲寺には、小田政治・氏治の墓があります。
氏治様の墓は、どうも書かれてないので分かりにくいが、政治様の墓へ行く前、
石段を登ってすぐの所にあるようです。少し大きめ。
(またwikiでは、氏治様の墓は、新善光寺に越前の地より改葬されたとあります)

流石に、巡礼に行く程熱意ある人は、自分等くらいしかいないだろうけど、
小田城の城域に入った辺りは、基本的に道が狭く、車を擦らないようご注意を。

小田領民の家々が残っているせいか、それとも資正様が
築城術の術中にはめようとしているせいかは
分かりませぬがw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:28:55 ID:RYB1GaWP
>>326-327
いつも小田家単独で戦争してるから負けるんじゃないの?
北条じゃ遠すぎるから、近場の大名と軍事同盟結べばよかったのに。

・・・まあ、同盟結ぶのも大名の能力のうちだけどね・・・

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:53:54 ID:7Wt72KKr
転地人

哀を掲げた戦国武将



334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:57:52 ID:Ecga8uPG
大河の主人公やれそうだな。

小田城奪われる→奪還する→奪われる→奪還→(ry

無理か。

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 20:59:48 ID:HhQcppts
そんなドラゴンボール的な大河は困る

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:02:06 ID:hFAL+8ZA
敗れても敗れても、なお敗れても諦めない
不屈の精神を描く感動巨編、
「延々と」
ご期待下さい。

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:04:07 ID:fXGy/8Qp
笑いあり涙ありの戦国大河か
悪くないかも

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:32:01 ID:uV+ifZAf
戦国の不死鳥(死なないだけ)

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:38:11 ID:5T6gMSnC
コメディ上手い脚本家だと、珠玉の出来になりそうw

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:43:25 ID:q2fLs0JL
:::: ヽ \\       ィユ,        /  / / /::::::::::::::::
:::: ( \ \\   ( ^ω^)      l  三 / / ):::::::::::::::
:::::::ヽ ヽ . ミヽヽ    | |       /   二 / /
::::::: ( \ ヽミ ヽヽ   | .|   +  /    二 ___/ヽ
::::... /ヽ ヽ ニ ヽヽ |,,,| ┼  //   ニ _______/
:::.   ヽ____  ニ ヽ`l  ヽ__//    ニ ____ノ
      ヽ___,  ニ l ::   ′    ニ ___ノ
        ヽニ -‐ ,l ::  小田 __ ≡ __ノ+ ┼ *    :::::::::
         ヽ---'''ヽ、  ,,,;''''='''''__ +  ┼  +  .::::::::::

私は不死鳥氏治。何度落城しても蘇る。
世界中にあふれるさまざまな2流武将を知っている。
不幸にも私に討たれてしまい
死んでいった武将達のことを私は忘れない。
私の名は不死鳥氏治、藤原道兼の末裔。

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:48:48 ID:/F9oFrcr
小田さんには是非配下に四天王をつけてあげたい

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:50:40 ID:dRFGDL5h
嫌な火の鳥だなw
まぁ生死を左右する場に何度も身を投じる(何度負けても)ガッツと
それでも家臣や領民が付いてくる人徳は現代人も少し見習ってうべきではなかろうか

それはそれとして海老名城であってるんだろうか?

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:55:34 ID:D0BH21Ed
ずっと日陰の存在だった小田氏治、四百年の時を経て2chスレで初めて主役に躍り出る。

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 21:59:38 ID:q2fLs0JL
ちなみに小田氏治の事を書いた軍記物である「小田軍記」「小田天庵記」、

この両方とも最後は何故か、小田氏治が「切腹」して終わる。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:04:59 ID:Z1P9KXhY
…。

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:07:26 ID:wXh5VNjh
また一人、いい悪いスレからアイドルが誕生した、の、か……?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:08:38 ID:Ecga8uPG
>>344
俺もそれ気になってんだ

江戸期にできたものらしいが、
居城を奪還できない=生き恥ってことで、
最後は切腹の方が武士らしいってことなのかな?

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:13:47 ID:YtbKjVbz
>>344
多分、土浦城落城時、小田親子の身代わりになって切腹した家臣・沼尻播磨守の死が
そのまま氏治の死として扱われたんじゃないかと思うんだけどなあ

本人は脱出して小田原に向かってるはずだし


349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 22:24:26 ID:q2fLs0JL
>>347
>>348
「小田天庵記」に出てるけど、筆者が、氏治の重臣である菅谷左衛門の子孫が名主をしている村に行くと、
小田を裏切ろうとして菅谷左衛門に討たれた信田重成がその村で祭られてて、しかも信田が、
菅谷の主君だった、って言う風に伝承されてたとか。

どうも地元でも100年以上たつと、伝承する主体がいない以上、小田氏関連の記憶は
かなり薄くなってしまったようですな。


353 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 22:56:07 ID:Y60o4/wH
>>342
海老ヶ島城かも。
書き間違えっぽい。スマンです。


356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 23:41:38 ID:dRFGDL5h
>>353
海老名城だと今の神奈川県中央にあった城だけど同名の城ってのも無い訳じゃねぇし
間違いとは言い切れないさ
俺の知ってる範囲だと山中城だけで3つ知ってるし


358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 00:01:15 ID:A0+Jd86t
>>340
小田嶋ww

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 03:31:44 ID:y8SSysdT
>>326-327
これすごいな。ボコボコにしてるとはいえ佐竹氏としてもかなり頭痛くなる存在だったんじゃない?
戦争費用や人員の消耗もこれだけ繰り返すと相当なものになりそうだ

366 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 02:35:09 ID:C01zS5bo
>>349
いちおう、足利血統なんだけどなw

370 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 08:23:00 ID:HMX+2DTa
>>368
太田梶原親子だけで充分対応できたってか三楽ちゃんと天庵ちゃんはツンデレ遊び友達だっただけ。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 09:42:13 ID:B3QAcWyn
>>368
ついでに小田は南北朝時代は新田の親戚だったので、
足利方に付いた佐竹を相手に戦い続けている。

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 09:42:40 ID:QfLL2FMQ
なにこの小田氏治祭りw
今川氏真に次ぐ迷君だけど、氏真より長い間領地保っていたから外交能力は氏真より上か?

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 09:51:49 ID:0kop5USN
>>370
天庵ちゃん「今日こそは三楽ちゃんを叩きのめして土下座させてやるんだからね!」
三楽ちゃん「天庵ちゃんじゃ100年かかっても無理ね」
天庵ちゃん「この夜討ちで三楽ちゃんの吼え面が目に浮かぶようだわ!」
三楽ちゃん「やはり夜討ち。計画通り!」
天庵ちゃん「悔しい!でも諦めないんだからね!必ず泣かせてやるんだから!」
三楽ちゃん「何度来ても同じよ」

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 10:08:43 ID:gtSsrHk+
>>368
本腰入れて相手にするほどじゃないにしても面倒な相手だったのは確かだと思う
変に領民や土豪・地元の商人達に慕われてるから、領地奪っても統治がうまくいかないし
関東では佐竹と並べる名族の一角だから滅ぼしてしまうのも色々あって難しいし
かといって相手に臣従する気がありそうかっていうとプライド高いから絶対ないし

結構迷惑だったと思うよ……

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 10:57:41 ID:rYlE/j8z
小田についてぐぐったら、氏治の父政治は将軍足利義澄の弟かよww
何気に名門ww

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 12:18:49 ID:9kgSLXAa
おぼっちゃまか・・・

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 12:23:20 ID:lfcjtCO0
おぼっちゃまくんだなあ

これで将軍やってたなら「公方ちゃまくん」なんだが

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 12:53:38 ID:gGwzkcnU
>>375
伯父にあたる茶々丸を殺した北条に泣き付くんだから、
父を殺した武将の子を頼る上杉憲政といい、
関東の名門ってちょっとアレだよなw

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コメント

  1. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    茨城にいるうちに行ってみようかと思ったが
    つくばは公共交通機関の便が悪いんだよなぁ
    土浦城は駅から歩いていけるのに

  2. 人間七七四年 | URL | -

    なんか感動した
    本人は必死に生きてたんだろうなあ

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