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長宗我部国親、高桜から

2009年11月27日 00:05

666 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/26(木) 01:27:28 ID:/FrVgjHR
長宗我部元親のパパ、国親さんの幼少のお話

1511年、千雄丸(国親)7歳の時、長宗我部家は周辺の豪族からボコられて城を失い
中村の一条房家の元に身を寄せていました。

ある日、一条家のみなさんが高桜(2~3階の高層建築かな?)で酒盛りをしています。
房家「う~い、良い気分だね、ほんっと。お~、そこにいるのは千雄丸か~。
  オイ千雄丸、今ここから庭に飛び降りたら家を再興してやるぞ~ゲラゲラゲラ」
家臣A「房家様、そりゃムリってもんっスよ、どれだけあると思ってるんスか、ゲラゲラゲラ」
家臣B「あ、あの・・・房家様・・・・・・」
房家「ん~、どうしたよ?」
家臣B「千雄丸のヤツ、飛び降りちゃいました・・・」
房家「ウソっ、マジ!?」

千雄丸はすぐに飛び降りた様です。子供で体重が軽いのが幸いしたのか、命は無事だった様ですね。
1518年、その時の約束かどうかは知りませんが、一条房家の助けもあり長宗我部家は
岡豊城に復帰します。




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:00:57 ID:GyLFU62o
>>666
ツに女ではなく米に女の楼ですな
でも家2,3階分の巨木の桜もあるかもしれないw
7歳ともなれば立派に跡取りの意識ができとるんやねぇ
(親が常日頃愚痴っていたのかも試練が)

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:15:32 ID:n4jwJw5C
直家と同じく没落した家を再興して、四国の雄に育て上げる土台作ったからね
やっぱりつき従ってくれている郎党の事を考えると、早熟になるんだろうな

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:51:16 ID:PWxql8Iv
親父さんは討たれてなかったっけ

このころには守護の細川は名ばかりだったのかな?
それとも阿波の系統が兼ねていたのかな

山名や畠山、斯波なんかもそうだけど、転換期に勢力が大きいと変化についていけてないよな


670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 08:57:49 ID:KnUwCVHN
応仁の乱に深く関与したので衰退したんだろう
>細川、山名、畠山、斯波、佐々木、土岐

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 09:03:48 ID:n4jwJw5C
国親の父・兼序は守護の細川の権威を頼りに土佐で有力視されていたらしいけど
細川の没落に合わせて、他の国人たちに討たれたって流れだったと思う

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