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鬼美濃の眼にも涙

2009年12月01日 00:08

原虎胤   
767 名前:1/2[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 10:54:43 ID:1FAFCs1K
少年が主君に従って戦い退こうとした時、敵の老武者が傷つき倒れているのを見つけた。
「陣屋までお送りしよう。お名前は?」
「・・・名乗るほどの者ではない。敵の情けは受けん、斬れ!」

少年がこれを聞かず老武者を敵陣まで送り届けると、老武者の甥と名乗る者たちが現れて
丁重に礼を述べた。重ねて少年が名を聞くと、彼らは腰に帯びた瓢箪を外し、
「叔父の名誉のため、我らからは名乗れん。これを持って貴殿のご主君に見せれば良い。」
と言って少年を帰した。
主君に瓢箪を見せると、主君は「これは勇士、牛久隆直のものだ。大切にせよ。」
と少年に教え、瓢箪を渡してくれた。

少年は瓢箪を馬印にして奮戦するようになり、敵は瓢箪の馬印を避けるようになった。
ある日、馬印を失った少年は、敵の武者と渡り合い、組み伏された。
まさに敵の刃が振り下ろされるその時、少年の顔を見た敵は、みずから首を刎ねた。
不審に思った少年は、起き上がって敵の顔を見て驚いた。

かの老武者の甥、牛久隆直その人だった。

768 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 10:55:28 ID:1FAFCs1K
成長した少年は原美濃守虎胤と名乗り、甲斐の武田晴信に仕えた。
天文23年(1554)、駿河加島で武田と北条が対峙した時、虎胤は故あって北条軍にいた。

味方の苦境を見た虎胤は、太田氏資を連れて敵陣に駆けこみ、小畠虎盛と挨拶を交わし、
馬場民部の備えを素通りし、小山田弥三郎の備えに突っ込んだ。
氏資が例の棒で当たるを幸い、武田の騎馬武者を七、八騎もなぎ払っている間に、虎胤は
無事に傷ついた味方を救い出して退いた。

小山田はかつての同僚に敬意を表して、「美濃守が敵前での馬の乗りよう、しかと見よ。」
と部下に言って深追いしなかったが、近藤右馬丞という侍が名乗り出て虎胤に迫った。
虎胤は「殊勝な心掛けよ。」と言いながら太刀を抜くと、あっという間に近藤の首を二度三度と
みね打ちして落馬させた。

そこへ氏資が「さあ、見せしめにしてやる!」と叫んで近藤に棒を叩きこもうとしたが、虎胤が
これを止め、
「この者は、甲州でわしの所にも出入りしていた者だ。命だけは助けてやってくれ。」
と言うので、氏資もしぶしぶ引き上げた。

当時、『鬼美濃の眼にも涙』として、評判になったという。




769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 14:14:40 ID:E7Mcu0ml
戦場の混乱の中、甲冑つけて顔が血と埃で薄汚れていても
同じ釜の飯を食った同士は見分けられるものなんだなあ。

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 14:27:28 ID:cMaf4noL
おお、舅殿ではござらんか!
挨拶代わりの鉄棒クラエ!!!な康資と氏資ほとんど思考回路一緒じゃんw
制止出来た原さんカコイイ!!!

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 14:43:27 ID:5ektwmHw
太田ヒャッハーを止めるって初代鬼美濃どんだけ強いんだよw

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 17:37:50 ID:1sj8AJ1X
>>770-771
鬼とも云え夜叉とも云え、豆撒くが本にて候

自分が鬼だからこそヒャッハー太田一族のあしらい方も身に付けていたんだろうか

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    出奔中の時期の方が格好いい逸話が多いまであるな、原鬼美濃
    痺れる

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