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松永久秀の人質

2009年12月02日 00:20

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 16:41:52 ID:9V/1fvDv
松永久秀の人質


人質と言えば、現代人の感覚からすれば穏やかな話ではないが、
この時代においては降服の証として人質を差し出すのがごく当たり前であった。

爆弾正こと松永久秀もその例外ではなく、
信長に降服した際には人質を差し出していた。

さて、この人質である。

久秀の息子か孫かははっきりとしない。
いつ信長の下に差し出されたかも特定はできないが、
仮に1568年のことだとしたら、
久秀の一度目の叛逆の際には、見逃してもらえたことになる。

信長も久秀には随分と甘いところがあるが、
二度目の叛逆の時はそうはいかなかった。

松井友閑の説得にも応じなかった久秀についに激怒したのか、
息子の信忠を討伐軍として派遣すると同時に、
人質を京都で処刑するよう命じた。

この時、佐久間家勝のもとにいた二人の人質は、
12歳と13歳の少年だったという。
彼らはひとまず京都の村井貞勝のもとへ護送された。

貞勝は彼らを不憫に思ったのか、宮中に助命を訴えようとした。

「すぐに参内し、助命してもらえるよう頼みましょう。
 君たちもすぐに身なりを整えなさい。衣装はこちらで用意しますから。」

だが、彼らは貞勝の申し出を断り、
手紙を書きたいから筆と硯を貸して欲しいと言った。

手紙を書き終え、それを必ず届けて欲しいと頼んだ後、
彼らは六条河原で首をはねられた。

最後まで臆する様子も無く、西に向かって念仏を唱えていたという。


後日、佐久間家勝は二通の手紙を受け取った。
そこには二人の、世話になったことへのお礼が丁寧に書かれていた。




782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 16:56:41 ID:BggSIZaL
>>781
もしかして偽者?
とても久秀の子か孫だとは思えない。

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 17:48:29 ID:rEu2Zko3
>>781
出典は信長公記か。
筆者の牛一も少年の最期に同情した叙述になってるね。

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 18:25:50 ID:y2x6HkrF
宮中に助命嘆願ってのがおかしいよな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ワイや

  2. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    お前だったのか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    てか779のもと記事は

  4. まとめ管理人 | URL | wZ.hFnaU

    編集ミスでした。申し訳ない(><)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    宮中に助命を訴えるってのは宮中から信長へ何か言ってもらうってことかな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    信長が右大臣の頃か?なら宮中へ助命嘆願するのは間違いない。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    信長公記なんだからそのまま書きゃいいのに、くだらん演出はいらない

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