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使者、片桐且元と長宗我部信親

2009年12月04日 00:13

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 22:25:51 ID:gz12Gg9j
天正13年(1585)6月、正二位内大臣に任官された羽柴秀吉は四国の長宗我部氏攻討伐を
決定し、宣戦を布告するため片桐助作且元を派遣した。
長宗我部の前線基地、伊予大浜城の前までわずかな供を率い、徒歩でやって来た且元は
「それがしは内大臣家の家人、片桐助作にござる。城の御大将に申すべきことあって
参上いたした。この旨をもって開門されたし!」と、堂々と言い放った。

城兵は敵の来訪に色めきたったが、城将の長宗我部信親は
「使者の作法、故実にかなって見事なり。失礼あらば『南海の田舎者、礼節を知らず』と
笑われよう。そうなれば、死後までの恥辱となるぞ?」と言い、門を開けさせた。

且元と対面した信親は、彼を上座へ導いた。
「貴殿は、仮にも内大臣のお使者。無位無官の信親と対座は、はばかりがあります。
どうぞ、こちらへ。」
且元は一礼してこれに応じた。
「ただ今、秀吉公と長宗我部殿と一戦仕る上は、まず互角の応対あるべきでしょう。
しかしながら助作は大臣家の家人である以上、長宗我部殿の上座など神罰が当たらぬか
恐ろしくはござるが、御免を被って口上を述べさせていただく。」

城兵みな、二人の礼節に感心せざるは無かったという。




851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 22:40:22 ID:HfqsS2Hr
短命だから逸話も少ないんだろうなぁ
まぁ四国自体逸話が少な(ry

それはそれとして礼儀礼節を理解出来るんだから城兵も大したもんだ
最近の若僧に煎じて飲ませたい

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 23:00:54 ID:K9HrDQes
秀吉の四国攻め前だから二十歳前後で最前線の城主が
勤まってこれだけの対応ができる息子に先立たれる
そりゃ元親もおかしくなるわ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/03(木) 23:37:27 ID:MQ6313Ux
>>851-852
元親自身に田舎者コンプレックスあったのか、家中ですごい有識故実の勉強させてんだよな。
土佐一国の貧乏領主が、わざわざ京大阪まで家臣を派遣して習わせてんの。

四国内の最大敵手、三好一党が小笠原流の支族で教養人も多かったから、
阿波や讃岐の慰撫にもそういうソツのなさが必要だった、て実利もあっただろうけど。

んで息子も手塩に掛けて育てたからこんなだった戸次川の死に様も見事だし……
潔すぎるのは戦国武将としてはむしろ弱点なんだけどね、そこが若さだよな。

854 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/03(木) 23:59:27 ID:a9wwzpMk
信忠もそうだけど、若いときにはもがいて一縷の望みに掛けてほしかったな


勝頼の追い詰められた上での自害を見たばかりだから、ああいうのは
嫌だというのがあったかもしれないけどさ



関連
片桐且元と占いの結果・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-298.html
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    信親が周りから慕われてたのよく分かるけど、東市正(いちのかみ)も威儀を正してて、いいなあ。
    こんな人を決戦前に大坂城外へ追い出してしまったんだから、豊臣もそりゃあアカンわな。

  2. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    なんか任侠の仁義切りに近いもの感じるなぁw
    「手前当家の若いもんにございます、どうぞお控えなすってください」
    「こちら旅中のもんでございます、そちらさんこそどうぞお控えなすってください」
    「いやそちらさんからお控えなすって」
    「いえどうぞお控えなすって」
    「それでは逆意とは存じますが、控えさせていただきやす」
    「さっそくのお控え、おありがとうございやす。手前、生国は…」

  3. 名無し | URL | -

    最近の若僧ってw
    いかにもおっさんねらー感丸出しで恥ずかしいからヤメレ・・

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