855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:24:06 ID:rAiR0wW/
土佐物語より、長宗我部信親はこんな人!
・背丈は6尺1寸(約185センチ)、色白で容貌は柔和
・言葉は少ない。
・礼儀作法を心得ているが、だからと言って厳しくは無い
・馬鹿な話にも付き合うけど、猥雑ではない
・家臣たちを愛し、家中の者達も父母のようになついていた
・手習いは吸江庵の真蔵主、恩蔵主を岡豊に呼んで学んだ
・謡は藤田宗印を京から呼び寄せて学んだ
・鼓は勝部勘兵衛を泉州堺から呼び寄せて学んだ
・笛は京で玄笛の伝授を受けた小野菊之丞に学んだ
・太鼓は頭我惣右衛門親子を京より呼び寄せて学んだ
・蹴鞠は飛鳥井曾衣が下向された時に指導を受けた
・碁は京で本国坊の元に学んだ大平捨牛、森勝介に学んだ
・礼儀作法は京で小笠原家より伝授を受けた桑名太郎左衛門、大平市郎右衛門に学んだ
・馬術は産方休少に学んだ
・槍、長刀は真道流の大平市郎右衛門、また京より甲藤市之丞を呼んで学んだ
・太刀は須藤流、また伊藤武右衛門と言う精参流の名人に学んだ
・弓は大蔵才八に学ぶ。岡豊城の的場で毎日夕暮れに的を射た
・鉄砲は近澤越後に指南された。毎月1日に鉄砲揃をして射撃の腕を見た。
・和歌は小松谷寺覚桜に師事
・連歌は蜷川新右衛門入道道標を宗匠とする
・このような教育を受けた信親であったが、武道のほかは雑事であると、
それほど熱心には学ばなかった。
しかし生来器用だったため、なにをやっても見事にこなした。
・常に軍書を研究し、戦略戦術について議論をし、剣術、体術の習得に熱心であった。
まあ早くに、しかも悲劇的な死に方をしたせいでだいぶ理想化されすぎているきらいはあるが、
ともかく、長宗我部家中にとって信親は、大事に大切に育てられ、本人もそれに大いに答えて
成長し、家中の期待を一身に集めた、パーフェクト嫡男だったのです。
856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:47:43 ID:LxFIJ8o/
信親の母は奉公衆石谷光政の娘(斎藤利三の異父妹)だけど、元親が自ら上洛して
娶った女性なんだよな。近隣の豪族では無く中央との繋がりを考慮しての嫁取りに
元親の考え方が伺える。
857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:48:24 ID:PR7Hnd6g
>碁は…森勝介に学んだ
「森勝蔵に学んだ」に見えたいい悪いスレに毒されたバカは俺だけでいい…
858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:08:33 ID:mDZa7cBY
>>855-856
連歌は“あの”蜷川新右衛門さんの裔に学んだってか……
斉藤内蔵助、石谷兵部は知ってたが蜷川氏も巡り巡って長宗我部の親戚だったんやねーなるほど
ttp://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1118
859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:27:44 ID:wdfRKWyq
>>858
蜷川家の当主は代々新右衛門を名乗るんじゃなかった?
860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 04:43:05 ID:E5eRvgjz
>>853
関東や甲信越、九州ならともかく、
土佐からなら「わざわざ京大阪まで」何て書き方するのは変じゃないか?
長曾我部は水軍だって持ってるし、大阪との交易も盛んだったはず。
861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 07:43:58 ID:BICm9q/l
>>855
あまりに完璧すぎて泣けた、生きてたら五大老も務まりそうだ
これだけの男を仙石ふぜいの指揮下に入れてたのが失敗だったか
862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 08:32:06 ID:rfM1A1r9
後世に作られたから完璧なんだろ?
863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:31:41 ID:lDxo0nF3
戸次川で信親を守って死んだとされる死体の頭蓋骨を調べたら、
刃物で斬られ過ぎて何回斬られたか分からないありさまだったとのこと
864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:36:00 ID:XXqInJgu
それって、なかなか死なずに奮戦したというよりも
敵兵がしっかりトドメをささず、倒れた相手を滅多打ちにしていただけでは?
865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:45:45 ID:lDxo0nF3
かもね
どれだけ混沌とした戦場だったんだろう
信親隊の遺品とされる甲冑はぐちゃぐちゃでなんだかよく分からない事になってるし
867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 11:37:41 ID:qX/azpga
壊乱状態で、かつ完全に多勢に無勢
それでいながら島津は味方の負傷率が跳ね上がるのも無視して押し包み殺る
ってな感じ?
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:09:32 ID:NLC0CTdn
>>861
もとから潰すために仕組んだとかね
無能の下で壊滅してくれたら万々歳じゃん
869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:34:00 ID:ieQFlP1g
まあ秀吉にしてみりゃ四国の弱体化は
かえって好都合かもしれんからな
870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:28:08 ID:BICm9q/l
当時は四国の弱体化なんかよりも、秀吉軍が島津軍に負けてしまったダメージのほうがでかいだろう
長曽我部が四国の雄だといっても、すでに牙は抜いたんだし
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:43:20 ID:kwW8ePUF
>>862
後世だったら山内だろう?
長宗我部のいい話など作るわけがない気がするぞ
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:12:03 ID:NLC0CTdn
>>872
領主の話題だからって作るのも領主って事じゃないでしょ
今のがアレだから以前のを持ち上げて~ってのは大昔からある話だし
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:32:18 ID:PR7Hnd6g
「判官贔屓」で亡んだ旧領主を顕彰する事は考えられるよね
「火のない所に煙は立たず」だから信親が勤勉だったのは確かだろうけど
まあこれ以上は検証スレでやらないか?
875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:44:36 ID:pLyTOpW7
弟が酒井家に使えてるよね>長曽我部
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 15:27:22 ID:/+gjK+Xr
>>855
ちょっと関係ないけど、馬術弓術と並んで鉄砲が教育に盛られてくるあたりが面白いね
土佐物語より、長宗我部信親はこんな人!
・背丈は6尺1寸(約185センチ)、色白で容貌は柔和
・言葉は少ない。
・礼儀作法を心得ているが、だからと言って厳しくは無い
・馬鹿な話にも付き合うけど、猥雑ではない
・家臣たちを愛し、家中の者達も父母のようになついていた
・手習いは吸江庵の真蔵主、恩蔵主を岡豊に呼んで学んだ
・謡は藤田宗印を京から呼び寄せて学んだ
・鼓は勝部勘兵衛を泉州堺から呼び寄せて学んだ
・笛は京で玄笛の伝授を受けた小野菊之丞に学んだ
・太鼓は頭我惣右衛門親子を京より呼び寄せて学んだ
・蹴鞠は飛鳥井曾衣が下向された時に指導を受けた
・碁は京で本国坊の元に学んだ大平捨牛、森勝介に学んだ
・礼儀作法は京で小笠原家より伝授を受けた桑名太郎左衛門、大平市郎右衛門に学んだ
・馬術は産方休少に学んだ
・槍、長刀は真道流の大平市郎右衛門、また京より甲藤市之丞を呼んで学んだ
・太刀は須藤流、また伊藤武右衛門と言う精参流の名人に学んだ
・弓は大蔵才八に学ぶ。岡豊城の的場で毎日夕暮れに的を射た
・鉄砲は近澤越後に指南された。毎月1日に鉄砲揃をして射撃の腕を見た。
・和歌は小松谷寺覚桜に師事
・連歌は蜷川新右衛門入道道標を宗匠とする
・このような教育を受けた信親であったが、武道のほかは雑事であると、
それほど熱心には学ばなかった。
しかし生来器用だったため、なにをやっても見事にこなした。
・常に軍書を研究し、戦略戦術について議論をし、剣術、体術の習得に熱心であった。
まあ早くに、しかも悲劇的な死に方をしたせいでだいぶ理想化されすぎているきらいはあるが、
ともかく、長宗我部家中にとって信親は、大事に大切に育てられ、本人もそれに大いに答えて
成長し、家中の期待を一身に集めた、パーフェクト嫡男だったのです。
856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:47:43 ID:LxFIJ8o/
信親の母は奉公衆石谷光政の娘(斎藤利三の異父妹)だけど、元親が自ら上洛して
娶った女性なんだよな。近隣の豪族では無く中央との繋がりを考慮しての嫁取りに
元親の考え方が伺える。
857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 00:48:24 ID:PR7Hnd6g
>碁は…森勝介に学んだ
「森勝蔵に学んだ」に見えたいい悪いスレに毒されたバカは俺だけでいい…
858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:08:33 ID:mDZa7cBY
>>855-856
連歌は“あの”蜷川新右衛門さんの裔に学んだってか……
斉藤内蔵助、石谷兵部は知ってたが蜷川氏も巡り巡って長宗我部の親戚だったんやねーなるほど
ttp://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1118
859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 01:27:44 ID:wdfRKWyq
>>858
蜷川家の当主は代々新右衛門を名乗るんじゃなかった?
860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 04:43:05 ID:E5eRvgjz
>>853
関東や甲信越、九州ならともかく、
土佐からなら「わざわざ京大阪まで」何て書き方するのは変じゃないか?
長曾我部は水軍だって持ってるし、大阪との交易も盛んだったはず。
861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 07:43:58 ID:BICm9q/l
>>855
あまりに完璧すぎて泣けた、生きてたら五大老も務まりそうだ
これだけの男を仙石ふぜいの指揮下に入れてたのが失敗だったか
862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 08:32:06 ID:rfM1A1r9
後世に作られたから完璧なんだろ?
863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:31:41 ID:lDxo0nF3
戸次川で信親を守って死んだとされる死体の頭蓋骨を調べたら、
刃物で斬られ過ぎて何回斬られたか分からないありさまだったとのこと
864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:36:00 ID:XXqInJgu
それって、なかなか死なずに奮戦したというよりも
敵兵がしっかりトドメをささず、倒れた相手を滅多打ちにしていただけでは?
865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 09:45:45 ID:lDxo0nF3
かもね
どれだけ混沌とした戦場だったんだろう
信親隊の遺品とされる甲冑はぐちゃぐちゃでなんだかよく分からない事になってるし
867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 11:37:41 ID:qX/azpga
壊乱状態で、かつ完全に多勢に無勢
それでいながら島津は味方の負傷率が跳ね上がるのも無視して押し包み殺る
ってな感じ?
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:09:32 ID:NLC0CTdn
>>861
もとから潰すために仕組んだとかね
無能の下で壊滅してくれたら万々歳じゃん
869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 12:34:00 ID:ieQFlP1g
まあ秀吉にしてみりゃ四国の弱体化は
かえって好都合かもしれんからな
870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:28:08 ID:BICm9q/l
当時は四国の弱体化なんかよりも、秀吉軍が島津軍に負けてしまったダメージのほうがでかいだろう
長曽我部が四国の雄だといっても、すでに牙は抜いたんだし
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 13:43:20 ID:kwW8ePUF
>>862
後世だったら山内だろう?
長宗我部のいい話など作るわけがない気がするぞ
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:12:03 ID:NLC0CTdn
>>872
領主の話題だからって作るのも領主って事じゃないでしょ
今のがアレだから以前のを持ち上げて~ってのは大昔からある話だし
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:32:18 ID:PR7Hnd6g
「判官贔屓」で亡んだ旧領主を顕彰する事は考えられるよね
「火のない所に煙は立たず」だから信親が勤勉だったのは確かだろうけど
まあこれ以上は検証スレでやらないか?
875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 14:44:36 ID:pLyTOpW7
弟が酒井家に使えてるよね>長曽我部
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 15:27:22 ID:/+gjK+Xr
>>855
ちょっと関係ないけど、馬術弓術と並んで鉄砲が教育に盛られてくるあたりが面白いね
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コメント
人間七七四年 | URL | -
茶道は習わなかったのかな?この時代の社交の基本といったら茶か能楽って感じがするんだけど。
( 2009年12月05日 00:42 )
人間七七四年 | URL | -
スイーツの考える、理想の彼氏像みたいだ。
( 2009年12月05日 07:12 )
↑×2 | URL | JalddpaA
織田・豊臣では茶が盛んだったみたいだけど、茶道は過ぎると数寄の道にいっちゃうんで……(
礼法やって蹴鞠や歌舞音曲一通りこなせて、社交で困ることはほとんどなかったとおもうよ。
( 2009年12月05日 07:20 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
土佐の出来人どころか出来杉君だな
( 2009年12月05日 08:38 )
人間七七四年 | URL | -
この人のことよく知らなかったけど、仙石いう無能の上官のせいで、有能な人間が無駄死にするのはいたたまれないな……。
こういうことって、戦国時代や日本に限らずよくきく話ではあるけど。
( 2009年12月05日 22:22 )
人間七七四年 | URL | -
確か絵も上手かったんじゃなかったっけ?
( 2009年12月07日 10:05 )
人間七七四年 | URL | -
完璧すぎるが故に、戦場で逃げるということを考えなかったんだろうなぁ
もちろん若さもあったんだと思うけど。
( 2013年01月30日 19:48 )
人間七七四年 | URL | -
少なくともねらーになんとか風情なんていわれるいわれはこれっぽっちもないな。
( 2014年04月13日 19:03 )
人間七七四年 | URL | -
元親逃がす為に奮戦して討ち死にだからな
元親自身が立てた策ならまだしも長宗我部親子と十河三人で反対した結果の死なら尚更悔しいだろう
( 2016年04月24日 18:32 )
人間七七四年 | URL | -
親父がダメ人間化する時点で期待のほどがわかる
( 2017年02月04日 02:52 )
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