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三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)

2009年12月10日 00:11

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 14:38:17 ID:6dNSJ+LJ
では三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)を

永禄10年(1567)、小田家の勢力が苦々しい佐竹義重は、家老の車丹波に小田家の
調略を命じた。しかし、車は予想を超える事態に遭遇する。

岩槻を追われた太田三楽は、小田氏治の配下にあった。一宿一飯の恩を返すため
三楽はたびたび氏治のもとに伺候し、打倒佐竹の兵法軍略を説いた。
氏治の前に侍る若侍たちは、関東有数の将の策を震えながら拝聴した。

その日も三楽は、氏治に懇々と策を語った。「…と言う訳で、常陸全土を抑える
事も出来ます。」
ついに若侍たちは、我慢出来ずに吹き出した。
「い、いやぁ片腹痛きぞ、三楽斎どの!それほどに縦横無尽の策をお持ちなら、
なぜ貴殿は北条に敗れ、こんな所に居るのかな?大言壮語も大概にされよ!」

激怒したのは三楽よりも息子の梶原景国である。彼は父を説得して小田家離反を
決め、のちに舅となる真壁道無に渡りをつけた。道無はさらにこれを車丹波に
相談し、労せずして内応者を得た車は永禄12年(以下>>888)

首謀者たる梶原はのちに美濃守政景と名乗り、馬場美濃・須田美濃と並んで
三美濃と呼ばれる武将になったという二重三重に口は災いの元な話。

小田家の侍に三楽を笑う資格があったかどうか、このスレの皆さんは
良くご存知だと思うので、俺はとやかく言わない。




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:00:14 ID:Cyk/vpJ/
将校級だけそろってても上と下が馬鹿じゃ駄目だな、やっぱ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:26:01 ID:v6+LaWvU
讒言は信じる癖に...

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:31:51 ID:FlZBU2yY
戦下手の袁紹って感じだなw

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:58:42 ID:q35lZYQ9
小田衆の弁護をすれば、
論だけ立派でも実績を見せない奴はホラ吹きと思われてもしょうが無い。
何時でもいるからね、弁だけで行動が伴わない奴。

まあ、弁だけじゃないってのは身を持って知ることになるんだがなw

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:04:27 ID:jTkfly+u
>>899
袁紹からカリスマ性以外全部差っ引いたら小田氏治だな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:13:44 ID:dD2dqLNW
つか三楽斎を敗残の武将と侮ってる時点でもう駄目なんだと思うけどな。
関東の戦の動向きっちり調べて情報伝わってれば北条に敗れたからって
馬鹿に出来るもんじゃないのはすぐ分かる。

ま、福島家の家臣たちを馬鹿にした若衆と同じ類の話なんだが
主が叱ってくれなかった代わりに自分らの城が落とされたわけだなw



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:16:59 ID:2WZ6N2fJ
>>901
何を言うか!袁紹殿より決断力はありますぞ!ただ、ちょっとばかし判断力が(ry


実は官渡でも判断ミス一度も無いんだよな。

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:49:57 ID:tsk97om3
>>903
スレチだが、烏巣救援で二兎を追ったのは痛恨のミスだと思う
それ以外には特にミスは無いというのには賛同

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:19:26 ID:FpcH8I25
しかし、梶原美濃はなかなかのくせものだな
一時は独断で北条についたりしてるし
旧領復帰への執念ゆえか



関連
小田氏治公、小田城を取られた顛末
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3299.html
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