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徳川家康は義直と頼宣に何故差をつけたのか

2009年12月19日 00:05

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 23:52:31 ID:odGnWk0N
大坂の陣のとき、徳川家康は息子の徳川義直に頭黒に白葵の丸を付けた
旗五本を与えた。ところが弟の頼宣は将軍秀忠と同じ黒紋を付けた旗七本だった。
この差別が義直の生母於亀には気に入らなかった。彼女は家康に泣きながら言った。
「あなたはなんと無情なお方でしょう。義直は御兄君であるのに、弟君の頼宣様だけ
将軍様と同じ御旗ではありませんか。何故このようなことをなさるのか」

すると家康は於亀をこうなだめたという。
「武家には総領の庶子、庶子の総領があるのだ。かつて信康が死んだ後に
秀康を立てるはずだったが、秀康には同腹の弟がおらぬ。しかし秀忠には
忠吉がおったから、わしの後継ぎにした。

もし将軍になにかあった時、義直にはそうした弟がいないが、頼宣には頼房がおる。
よって天下の総領は頼宣なのだ。

義直と頼宣の格には優劣はない。だから二人は同時に縦四位下に叙任された。
二人の家に優劣はない。だから弟のいる頼宣が天下の総領である。
これが道理ではないか?」




275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 00:09:06 ID:OkXHX8AL
>>274
一夫多妻制度って、
嫁のコントロールが本当に大変だったんだろうな・・・

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 00:12:12 ID:2bVPa5OW
秀康を嫡男にしなかったのはそういう見方もあったのか
この時代の子作りって母方の立場が結構重要だったんだなー

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 00:47:27 ID:20XWtxfG
>>274
尾張と水戸の因縁は既にここから始まってたんかね

281 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/18(金) 00:58:33 ID:sJ2zw943

>>275
市松「本当命懸けっすよ。」

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    本当は秀康が誰の子かわからないからだろ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ↑で、その証拠は何処?君は何かの研究家なの?

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