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土佐物語十九巻「盛親古き士の事」より

2009年12月19日 00:09

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 03:03:42 ID:+KnLqQFE
土佐物語十九巻「盛親古き士の事」より

長宗我部盛親改易の後長宗我部家中は、新規外様は勿論、譜代恩顧の者たちも、
新たな主君を求めて土佐を出、散り散りとなった。
吉田猪兵衛は福島正則に仕えたが、大阪の陣の勃発に、旧主盛親が豊臣方として
参戦したという事を聞くと、彼は当時江戸にいたがすぐさま出奔し、盛親に合流すべく
大阪へと向かった。

ところが大阪では既に合戦は始まっており、猪兵衛が大阪城に入る事は出来なくなっていた。
途方にくれあちらこちらと彷徨っているうちに、幕府方の寄せ手の中に、同じく長宗我部旧臣、
桑名弥次兵衛一孝を見つけその陣所を尋ねた。

「土佐退散の後は音信もありませんでしたが、本当にお久しぶりです。」

猪兵衛と桑名は、互いに涙を流して旧交を懐かしんだ。そして猪兵衛

「私は福島家に仕えていましたが、この度の事を聞き、盛親様のところに駆けつけねば
どうにもならないと思い、こちらへ参りました。しかし来て見れば寄せ手の警戒は厳重で、
とても城に入ることが出来ません。」

と言う。桑名はこれを聞くと

「お主が大阪に入城しようと言う志、まことに立派だと思う。
どうにかして城に入り忠勤をなされよ。

…私も伴に入城したいが、今仕えている和泉守(藤堂高虎)様から、非常な厚恩をいただいた。
今もし籠城衆に参加してしまえば、主君に弓を引く罪人となり、しかし主君に忠義を成そうとすれば、
譜代相伝の主を敵とすることになる。八逆罪の無道人とはこの事だ。
正直に言って、進退窮まっている。

この上は敵が大勢居る所に駆け入り、何も手を出さずに討死して、主君に不忠を成さず、
旧主に不義をなさないようにしよう。そう思い定めている。
どうか私を、お主たちの手にかけよ。…これは暇乞いである。」

そう行って盃を交わし、涙ながらに別れた。


翌年
八尾の合戦において、長宗我部の部隊の前に、藤堂家の部隊が立ちふさがる。
そこに、桑名弥次兵衛の姿もあった。
盛親はこれを見つけると

「おのれ譜代の主に向って弓引く曲者!誰でも良い!弥次兵衛を討ち取った者を
今日の合戦一の高名の者とするぞ!」

すると吉田中務、および和食の人々進み出て「弥次兵衛は我らが一族であります。
どうして他人の手に懸けさせましょうか!」

桑名弥次兵衛は真一文字に駆け入った。そこを長宗我部の部隊に取り巻かれ、
たちまち討ち取られた。
弥次兵衛は討ち取られる時、槍を構え直す事もなく、真正面を向いたまま討たれたのだと言う。

その首が盛親の元に実検に持ち込まれる。桑名の首は兜をかぶったままだった。
桑名は兜の忍緒を真結びにして、両端を切り捨てており、兜が取れないようにしていたからである。
この時、吉田猪兵衛が盛親の前に出て、先に桑名と対面した時の話をした。
これを聞くと

「さては桑名は今日、討死すると思い定めたのか。不憫な事だ…」

そう、涙を流した。長宗我部旧臣同士が戦い会った中で起こった、悲劇の一つである。




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 03:37:39 ID:pKgGud1U
盛親の話が出てるんで便乗なんだけど、
以前読んだ小説に盛親の部下に唖の部下がいて、他の家臣はなんでそんなやつを
召抱えたんだって非難してたけど、
盛親が大阪に入場する際に、この人が各地に散らばった家臣を集め軍勢を集めたってような
小説があったんだけど実話かな?
なんか元ネタとかありそうな気がして気になってたんだけど・・・

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 06:24:52 ID:9aNZY2yQ
盛親って改易されて寺子屋教師時代の逸話ってあるかな?
町民相手だったのか下級武士相手の教師だったのか

宗茂と違って改易されてからもちゃんと働いていたのに御家再興は出来なかったのは
やっぱ伝手が無かったのか

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 09:31:08 ID:l1zn3xgh
寺子屋ってんだから町人じゃないかな
大岩祐夢でググッてもまあ、「寺子屋で学問を教えていた」と出る。

京で武家の子弟の教育を許すとか危険すぎるし。

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/18(金) 09:59:37 ID:cHvoePbf
伝手もないし宗茂みたいに勇名を知られた大将でもないし
関ヶ原後のお家騒動での兄殺しで不興をかったのがやっぱまずかったんじゃない

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >133
    そうそう。津野親忠の事を忘れて居る人多過ぎ。と言うか。改易の直接の原因て「久武親直」の讒言のせいじゃない?
    親忠殺させたのも、徹底抗戦唱えたのも、こいつだし!!(ついでに親実粛清も)

    確かに、兄貴が戦死して心を害したのは親父。原因を作ったのは仙石。そのせいで飛ばっちり食らったと言えるのは元親。でも、改易の原因を作ったのは身から出た錆でしょ?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    でも盛親の従姉妹はあの春日局なんだよな
    ずっとはたらきかけていれば、そのうち再興できたかも…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    親直は讒言と言うよりも単に主君の意を汲んでただけって説もあるけどねぇ
    いずれにせよ周りの影響もあったとは言え最終的に誤った決断をしてしまったのは当主の元親・盛親なわけで

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