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大久保忠常、預けられた三成を

2009年12月22日 01:35

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:07:12 ID:EX3RZcIh
関ヶ原合戦の後、捕縛された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊三人の身柄が、
大久保忠隣に預けられた。
しかし、この頃忠隣は家康の側にあり大変忙しく、その子息、加賀守忠常(当時二十歳)が
彼らの管理に当たる事になった。

忠常が、三成達の拘束されている場所に行って見ると、三人は高手小手に縛られており、
その中でも三成は、当時腹を壊しており、この苦しさからその場に臥せていたそうだ。
これを見た忠常、自ら暖かい粥を三成の前に持って来て

「どうぞこれを、一口お召し上がりください。」

と言った。これに三成

「おぬし、何者だ?」

「は、これは申し遅れました。先年の奥州の御検地であなたが関東に御下向された時一度、
お目にかかったことがございます。大久保忠隣のせがれ、忠常であります。」

三成、忠常をじっと見て。

「ずいぶん前の事だし、全く覚えていない。」


そう正直に答えた。いかにも三成らしい。

「ところで忠常殿、久しぶりの対面早々何だが、この有様では粥を飲むことも出来んよ。」

と、体中に掛けられた縄を見せた。
そこで忠常、縄を解き手を自由に使えるようにした。三成はこれを大いに喜び、
「今の芳情忘れぬぞ」と礼を言って、小ぶりの茶碗に一杯半ほども粥を飲んだ。
その後、三成達を厳重に縛める事をやめ、首に形ばかり縄をかける形に改めた。

三成は隣室の小西行長を、「摂州!摂州!」と大声で呼び
「家康は果報な男だ。譜代の子供まで良く育っておるわ!」
と、語ったそうである。





368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:13:43 ID:motJ3TQ1
ツンデレw


372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:35:31 ID:iesOXET8
>>366
忠常は一角の人物だったらしいねぇ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 08:57:17 ID:2sGqDGmN
>>366
なんか死の間際なのにさっぱりしているな やっぱ三成も武人だったんだな

>三成は隣室の小西行長を、「摂州!摂州!」と大声で呼び
死罪待ちで牢屋に入っているのに普通に世間話しててフイタw

392 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/21(月) 12:37:38 ID:9vtGt5bY
>>389

あまり言い訳をしないところや死罪に際しても動じないところは、広田弘毅にも似ているよな。

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/21(月) 13:14:55 ID:SAFYxAn0
>>392
それこそ城山三郎の小説が元ネタで実は「死刑」
になりたくないから黙っていただけと笹川良一が「人類皆兄弟」
で書いていたよ。


397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 14:23:56 ID:ln0/mB8j
>>393
広田弘毅については『落日燃ゆ』の影響もあってか実像と創作の部分が
ごっちゃになっるとはいえ(なので光と陰、功罪を信用のおける資料で過不足なく
見直す必要があるけど)、大体の資料が「泰然自若としてた」とあるし
概ね信用していいんじゃないか。
むしろ笹川良一のほうが、言い方は悪いが収攬されたことすら
自分の栄達に利用したような男だし、よほど信用ならん。
(スレ違いでスマン)

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 16:29:19 ID:GFuA8lao
この時代の牢屋の環境ってかなり悪かったんかな
官兵衛は足が悪くなっちゃったし

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 18:26:35 ID:lCqRHmT3
そもそも懲役刑って概念がなかったからねえ

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 18:58:42 ID:zjBYrTgV
まあ一応、遠島がそれに当たるんじゃね?

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 19:20:15 ID:YLLSIY7P
蟄居は禁固刑かな

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 21:09:55 ID:H8muASH7
>>398
黒田官兵衛が閉じ込められてたのは土牢で、土牢っていうか、斜面に掘ってある穴?
体をかがめて足を曲げてやっと入ってられるくらいの小さい所に一年以上入れられてた
せいで、ずっと曲げてた足が悪くなったらしいって聞いた
いろいろ世話をしてくれた牢番の子供を引き取るくらい恩義を感じたらしいから、
きっとそれがなかったら生きてたか怪しいくらいやばかったんじゃないか

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 21:15:22 ID:H8muASH7
>>403
ごめん、追記
実は黒田家の認識によると「荒木村重は小寺政職の依頼を蹴って官兵衛を殺さず
幽閉したので恩人」らしい
その認識に従って荒木の子孫の世話を焼いてるとこ見ると死ぬほどひどいってことはないか

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 21:24:19 ID:GFuA8lao
村重は人質にでもするつもりだったんかね

406 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/21(月) 21:57:34 ID:hpS9NdMq
そういや当時って座敷牢はあったの?

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 22:49:31 ID:iDvw96aE
官兵衛が頭部に患ったアレはもしかしたらタムシとかあんなのじゃないかと思っている。
不衛生だったかもしれないし…。

当時は水虫とかどうしていたんだろう。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 22:58:13 ID:mulgUc3C
戦国期に水虫ってあったのかな?
当時は草鞋だったし寒かったから
水虫患者自体珍しかったのでは?

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 00:02:22 ID:NlFalMcw
当時は皮足袋だったから
しょっちゅう履く人は水虫になったりしたかもね

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 00:23:16 ID:swNSD2BK
日本では水虫の歴史というものはせいぜい数十年だそうな。
でもどこにでもいるカビ菌だし、当時もあったんだろうな。

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 00:35:42 ID:EBEIT2Kp
靴とか履くようになってから蔓延するようになった、とたしか王様の仕立て屋であったような

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 01:00:26 ID:9g5hpzzj
かもすぞ~

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 02:05:17 ID:RWdERj4f
以前どっかで書き込みみたな。
水虫になったら焼けた砂浜を裸足で歩くとかしてたらしいが。
まあ乾燥が大事ってのは経験的にわかってたのかね。

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 02:08:14 ID:UmfEdHi1
拷問に近いなw
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    知れば知るほど石田三成なる人物が見えなくなってくるな
    色んな史料も共通してるのは「人からは嫌われるタイプの天才肌の人間」だったということぐらいで
    単なる文官なのか、武勇もある軍人なのか、両方なのか、そのいずれでもないのか……本質がどこにあるか検討もつかない

    ともあれ、日本を動かした一世の巨人だったことは疑いようも無いよね

  2. 人間七七四年 | URL | -

    黒勘殿の足は。正確に言うと土牢に押し込められていた為に、左脚関節に障害が残ってしまった為、杖や輿が必要になったそうです。

    また、頭は付近にあった池から飛んでくる蚋(ブヨ)や藪蚊に刺され捲って、化膿してしまい痩(そう)が出来てしまった様です。

    そして、その土牢から見える池に咲いていた藤の花を見て勇気付けられたから、藤巴紋にしたと言う話もあります。

  3.   | URL | 6Q0aW8YQ

    最近は三成は文武ともに優れていたというのが主流じゃないか
    戦下手説は忍城水攻め失敗がもとだけど、あれの水攻めは秀吉からの命令だったそうだし

    ただ秀吉の子飼いの中で、一番行政能力あったから、そっちの仕事ばかり割り振られたんだろうなあ

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