FC2ブログ

手島美作の逃亡

2009年12月26日 00:01

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 06:57:37 ID:TtScnEBK
武州忍の領主成田長泰の家臣に、手島美作と言う者がいた。

この手島、永禄3年(1560)上杉輝虎の小田原攻めの際、人質として謙信に出された長泰の
幼い二男に付けられ厩橋城にいたのだが、成田長泰はご存知のように、この小田原攻めの最中
上杉陣営から離脱し忍に帰った。
俗説では鶴岡八幡宮における輝虎の関東管領への任官の儀式で、輝虎から打擲されたためだという。

さて、明日はこの輝虎が厩橋に帰城すると言う夜、この城の宿直のものが手島を、
密かに物影へと呼んだ。

「手島殿、あなたの御主君長泰様が別心をいだき、忍に帰られたことご存知か?
明日輝虎様が帰城されるとあなたも、人質ともども殺されることになっているそうだ。」

手島、これに大いに驚いた。主君長泰からは、何の連絡も来てはいないのだ。
なんたることかと愕然としていると、宿直の男

「…ところであなたは、国に帰れば五千貫の大身だと聞き及びます。どうでしょう、私に
三十貫の知行をいただければ、あなたをここから脱出させ命を助けますが…?」

「そんなもの容易いことだ!」

すぐに約束状を書き与えた。そこで宿直の男は小舟を用意し、手島を人夫の姿にさせて
城を出ようとした。この時手島は「若君も連れて行きたい。」と言ったが、
「子供をつれていくのは無理ですよ。だいたい父親である長泰でさえ捨てたんですよ?
他人である我々が気に掛ける必要があるでしょうか。是非に及びません。」

と、若君がまだ寝入っている間に、城を出た。

翌朝、この二男は目を覚ましてから、自分が殺されると言うことを知った。
慌てて手島のもとに駆けつけたが、そこは既にもぬけの殻であった。
そうしているうちに二男を探しに来た追っ手が現れ、これから逃げようとし、最後には
川に飛び込んでそのまま死んだ、と言う。

手島美作は無事脱出に成功したが、長泰に対し「今まで一度も不忠の事は無かったのに、
棄て殺しにしようとしたのはあまりに酷い」とこれを恨みとし、後、長泰の嫡男氏長と共に、
長泰の追放に働いた、との事である。





352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 12:39:56 ID:jqpCh1IM
成田長泰次男って確か謙信が厩橋に帰ったあとも普通に厩橋に元気でやってて
謙信がおんぶして遊んであげてたとかいう話も残ってるんだが…。
成田の家臣が危険を冒して救出して連れ帰ったバージョンの話も見た覚えがある。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 14:18:59 ID:VtI7ZOi6
というか、一般的に長泰の次男とされる長忠(当時九歳)にはそもそも上杉の人質に出された
形跡がない。
成田長泰が人質を見棄てたのは事実だが、本当は誰が人質に出されたものやら。

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 17:27:36 ID:eT+d0tKE
>>350
友誼とか同情じゃなくて知行目当てかよ!>宿直

スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    あくまでも、この逸話の話内で言えば。
    >是非に及びません
    で、子供を捨てる方も悪いと思うのだが?
    どう見ても、自分らの命と欲(よく)欲しさに逃げた風に見えるよ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    是非に及ばずとは、どうしようもないという意味だよ。
    救いようがないので救わなかったのを見殺しと評するのは酷ではないの?

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/3382-88474831
この記事へのトラックバック