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会田五ヶ郷、殿村遺跡の発見

2009年12月26日 00:03

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:19:52 ID:VtI7ZOi6
信濃国小県に、会田という土地がある。
その統治者は海野一族の会田氏ともいい、あるいは同族の岩下氏ともいう。
本城である虚空蔵山城が、武田家に屈した天文年間に誰の支配にあったかも判然としない。
武田信玄によって越後に逐われた会田小次郎幸継であるとする史書もあれば、
永禄十年に生島足島神社に奉納された信濃諸将の起請文に名を連ねる岩下幸広らともされる。
資料や系図ごとに並ぶ会田・岩下一族の名はばらばらで、
現代においても確かなことは分からない。正統争いの末に、何時しか事実が失われてしまったのだ。
戦乱の世に同族相食んで滅んだ家の、宿命のようなものといえるだろう。

その会田五ヶ郷に、近年大きな発見があった。
虚空蔵山城に程近い、平時の会田氏(或いは宗家の名跡を継いだ岩下氏)の居館たる殿村遺跡。
ここで、東日本の築城史を百年近く遡る――というより日本最古級の『石垣』が発見されたのだ。

そればかりではない。
城の遺構、特に堀のあとからは多数のかわらけ(素焼きの盃)や木製の箸が出土した。
これは領主の会田小次郎一族が、頻繁に家臣や近隣の地侍、農民を集めて
その結束を高めるための親睦の宴を執り行っていたものだと推察されている。
さらに戦国時代初期の遺構であるにも関わらず、天目茶碗や茶入れといった茶器の類も多数出土した。
当時、茶道の文化圏は未だ西国や都市部にとどまるものと考えられているこの時代に、
文化圏の中心から大きく離れるこの信州の奥地に到達していた、という文化上の大発見があったのだ。



497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:20:51 ID:VtI7ZOi6
これ以外にも、多くの文化的発見がこの一年に相次いだ。
非常に貴重な文化遺跡として、保存の話が持ち上がった。
これにゼネコンと地元政界が猛然と反発した。
そもそも今回の遺跡発掘は、この地に大きな小学校を新たに建設するためのもの。
一通りの調査が終わったなら、さっさと遺跡を壊して建設を始めさせろ。
何百年前の殿様ごとき、なんだというのだ。子供たちが地震にあったら大変だ。
未来の命を守るためなら、遺跡なんぞどうでもいいことではないか。
彼らはそう主張したのだ。

それが今年の三月のこと。
喧々諤々の議論が起こり、その間に政府がころりと転げた。
そうして半年経った十月、文化庁から役人がやってきた。
やって来た彼が出した勧告は、
「非常に地域の文化財の豊富な場所だ」
「周辺の文化財一帯を合せた将来的な町づくりについても考えていかなくてはいけない。
その点では、この地域はメニューが多い」
という二点に力点が置かれたもの――つまり、小学校建築計画の見直しを強く求めたもの。

かくして、殿村遺跡の本格的な学術調査がほぼ決まった。
記録保存のための事前調査ではなく、遺跡保存を前提とした学術調査として。

戦国の歴史に新たな1ページが書き加えられることも近いかも知れない。
そんなちょっといいお話。




498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 20:49:25 ID:yV6EENhY
ちょっとしたコネがあれば辺鄙なとこでも文化人が立ち寄っていたりするんだけどね

解説員とかは、有名な大名のところにしか行かないとか思ってるんだろうなあ

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 21:13:31 ID:5X6qny4H
山口に行けばものすごい歓迎されて贅沢させてくれていたらしいから
西に行く印象が強いのも無理はない

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/25(金) 21:46:08 ID:eT+d0tKE
茶の文化自体、貿易との関係が深いし、西国イメージはやはり強いね
でも歌に関しては、結構東国へも人が往来してるんだよな
それにしても、発掘の面白さがよく分かるお話だ

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