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乞食大名鮭延秀綱

2009年12月27日 00:20

494 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/25(金) 12:10:53 ID:w003/1n4
そういや乞食大名の話、まとめサイトに無いんだね。
もしかしてまだ未出だったのかな。

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 00:04:49 ID:DjuibA9D
>>494
そう言えば出てないね。是非紹介を。

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 00:24:28 ID:hZMzdej0
>>494
乞食大名はあくまでフィクションなんだ。
実際の鮭延は五千石もらったのを、すべてくっついてきた家臣にわけあたえていた。
乞食大名だと家臣の家で養ってもらった、だったと思うけど逆なんだよね。
まあどっちにせよいい話だけども。家臣は彼を慕って鮭延寺を建立したという。

ちなみに鮭延は正室がすでに亡くなっていて、古河にうつってから別の女性とのあいだに
男児をもうけたけど、鮭延家は継がせずに意図的に断絶させている。
また、当初は徳川忠長家老職業五千石を幕府からオファーされていたりするのを蹴っている。
とか考慮していくと、逆にわざと改易ねらった!? という悪い話になっちまったりもするんだよな。
俗説だが、嫡男を義光に殺されたのを恨んでいたとか云々。
ただしこれは義光が、鮭延嫡男の壮大な葬式を出しているし、家臣の嫡男を殺す理由もないから
ガセとされているが。
真相は闇の中…。



511 名前:゚Д゚|!゚∀Y`∀´ ◆k71Imjgdp0b2 [sage] 投稿日:2009/12/26(土) 00:26:56 ID:vh6o6LDx
乞食大名について書かせて頂きます。ちょいと待ってね。

 人人人人人人人人人人人人人 
> ゆっくりしていってね! <
 ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ 

514 名前:゚Д゚|!゚∀Y`∀´ ◆k71Imjgdp0b2 [sage] 投稿日:2009/12/26(土) 01:01:20 ID:vh6o6LDx
秀綱が江戸神田橋土井利勝邸を宥免されて門を出たとき
垢面放髪、乞食のような集団から声が発せられた。
(´;ω;`)「殿、宥免祝着にございまする・・・」
改易の折、山形で付き従った家臣たちであった。
「おう、その方等息災でなにy・・・」
秀綱は胸がつまり、それ以上何も言えなかった。

数日後、神田川べりに乞食の掘っ立て小屋が立ち並んだ。
近くの人達は、身なりは粗末だが、人品・ふるまいは乞食とは思えず、
いかなる素性の人かみな首を捻った。

掘っ立て小屋の住人は物売りや商人、土方、物乞いなどがいたが、
頭領と見える初老の男を中心に、いつもほのぼのとした空気の中で暮らしていた。

八年後、駿台徳川中間衆がこの掘っ立て小屋の若い娘に乱暴しようとしたところ、
乞食たちが中間等を叩きのめし追い払った。
数日後、数十人の応援を得た中間たちが大挙して押し寄せると
掘っ立て小屋の中からいかつい初老の男が槍をかざして号令した。
(`・ω・´)「下郎共を叩き伏せよ!」
その号令で乞食たちが数に勝る中間に殴りかかった。
(`・ω・´)「鮭延越前勢の戦振りをひよっこ共に思い知らせてやれ!」
なにしろ長谷堂で直江兼続を押し返した猛将の戦い振りに中間達はさんざん痛められ逃げ去って行った。

この騒動の後、剛勇鮭こと秀綱とその旧家臣たちの忠義一徹ぶりが江戸の噂となり、「武士の鏡」としての
秀綱にオファーが各大名より掛かるが
(`・ω・´)「某は最上の臣にて。あしからずお引取りください」
とそれらの使者に対する秀綱の返答は決まっていた。

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 01:12:26 ID:qXPbFcLf
いい悪い話スレの投下でコテとかいらんから

516 名前:゚Д゚|!゚∀Y`∀´ ◆k71Imjgdp0b2 [sage] 投稿日:2009/12/26(土) 01:35:31 ID:vh6o6LDx
秀綱編・乞食大名ファイナル?

しかしこうしてる間にも秀綱も家臣たちも老いた。
時は非情である。
中間どもの襲撃の翌年、人足働きをしていた
下濃(すそご)又兵衛の三男が土木作業中に土砂崩れで圧死した。
その夜掘っ立て小屋に変わり果てた遺体が運ばれてくると秀綱は
草地に伏し、頭髪を掻き毟り号泣した。
(´;ω;`)「ワシのつまらん意地で
有望な若人を死に追いやってしまった・・・」

翌朝秀綱は土井利勝邸の門を叩き
「これまでたびたびのお勧めをいただきながら、
その都度辞退申し上げ、真に失礼仕りました。
今となっては心苦しきことなれど、先行きわからぬ老骨で
どれだけの奉公が勤まるかはわかりませぬが、
この老骨を土井家に飼うて頂けるよう、
かくは参上つかまった次第でござる。」
と言うと一礼した。

利勝は以前からの家禄の5000石で秀綱を家臣に迎えた。

土井家分限帳では
トップ土井内蔵10000石
次席寺田與右衛門6000石。
客分秀綱の大切にされた様が良くわかる。

ところで秀綱は利勝に願い出、この5000石を
山形以来の家臣20名に分け与え、自分は一文も受け取らず、
家臣の家々を居候しながらその生を終えたと言われる。

鮭延寺(けいえんじ)文書に
「14人の家臣に当分に知行を与え」といった表記があるため
最初20人いた家臣も流浪の生活中他界し
14人に減ったとも受け止められる。

海音寺小説の「乞食大名」により上記が有名になったが
実際は5000石の知行を貰った後は300石と屋敷を除き、
家臣に残りの180-190石をほぼ等分に分配し、
最上義光宜しく「友達君主」としての生を全うしたらしい。

あ、鮭延寺(茨城県猿島郡総和町大堤)は
旧家臣が秀綱が正保3年(1646)に死んだとき、
主君土井利隆に頼んで鮭延屋敷跡に菩提を弔う一寺を建立した
その「寺号」だお。




520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 02:16:01 ID:DjuibA9D
いや、面白い逸話だった。ありがとう。

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 07:40:22 ID:YgZVF6Aq
>>519
面白かったですよ。
こういう落ちぶれても気概のある男たちの話は好きだ。

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 21:13:35 ID:qqWs6Wu+
>>516
亀レスかつ蛇足だが、
鮭延寺のある旧・猿島(さしま)郡総和町は
町村合併によって現在は古河市になっているよ。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「秀」だけでなく、
    「秀綱」としてください(´・ω・`)

  2. まとめ管理人 | URL | wZ.hFnaU

    おお…
    直しておきました。すいませんー。

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