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おあむ物語

2009年12月28日 01:17

おあむ   
380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 22:10:28 ID:a2uNevY3
「おあん様おあん様、昔話してくれろ。」「はいはい。」
…おらが親父は山田去暦と言って、石田治部少輔様に仕えて近江の彦根におったが、
関ヶ原の戦の時は、美濃大垣城に篭もることになり、家族みんなで篭城した。

城中では不思議なことがあってなぁ。真夜中になると、どこからともなく男とも女ともつかぬ
三十人ばかりの声で、『田中兵部どの…田中兵部どのぉぉ……』とわめき、その後わッと
泣き出すので、夜な夜な恐ろしゅうておぞましゅうてならんかった。
しばらくして後、徳川様の攻め手が大勢、城へやって来て昼も夜もなく戦となったが、
攻め手の大将は、なんと田中兵部大輔吉政というお人じゃった。

石火矢(大砲)を撃つ時は、城の近所にその旨、触れが出たものじゃった。
なぜかと言うと、石火矢を撃てば櫓も動き、地も裂けるほどに凄まじい音がするもんで、
気の弱い女衆は、すぐ目を回して難儀するんで、前もって知らせたんじゃ。
初めのうちは触れがあれば生きた心地もせず、ただ恐ろしや怖やと言うばかりじゃったが、
後には慣れて何とも思わんようになった。

普段は、おらも母者も、その他家中の内儀・娘も、皆々天守で鉄砲の弾を作ってのぅ。
またある日、味方が取った首を天守に集めて、それぞれ名札をつけて分かるようにしたが、
その首にお歯黒を付けにゃならんかった。
昔は身分の高い者はお歯黒を付けたもんで、首を取った者から首の価値を上げるためと
頼まれたのじゃ。
なに、生首なんぞ怖いもんではない、おら達はその首の血生臭い中で寝たもんじゃ。

さて、そうしていると、ある日攻め手より激しく鉄砲が撃ち放たれ、もはや落城じゃ、と
噂が流れ城中、事の外騒がしゅうなった。
そこへ侍頭が来て、『敵影は無くなった、去ったのだ。もう騒がれるな、静まれ。』
と言っているところへ、また鉄砲が撃ちかけられ、おらの十四歳になる弟に弾が当たって、
そのままヒクヒクと痙攣して死んでしもうた。むごいものを見てしもうた……


この後、おあん一家は徳川家で手習い師匠をやった父のコネで脱出を許されて土佐に逃れ、
おあんは土地の侍と結婚し、六十余歳で亡くなったという。
上記は、おあんが語った原文も口語体で記された、落城悲話である。




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 00:40:58 ID:W1PGHEo+
>>380
助かった人間でもこんな体験してるわけで、実際には悲惨な目にあった人が大勢いたんだろうな…

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これを悲惨と捉えるか
    世の習いと捉えるか・・・

  2. 人間七七四年 | URL | -

    悲惨な話だが、世の習いでもある
    分けて考える訳にもいくまいよ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    いわゆる「いい話」では無いけど
    貴重な記録だ・・・

    とか思ったが出典が書いてない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    いや、タイトル通りだから「おあむ物語」でググれ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    あ、そうなんだ
    ありがとう

  6. 通りすがり | URL | OAnkZWlM

    いうまでもなく、舞台は大垣城ではなく、佐和山城。
    田中兵部吉政は小早川以下の裏切り勢とともに翌日から佐和山攻めに
    専念していたはず。(そして三成も捕縛してる。)
    水野らの大垣攻めに二股で加わるのはまず無理。
    記憶ではかつてのNHKの歴史番組でも
    おあん物語の舞台は佐和山とされていた。

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